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ブログ三銃士

このブログは、FM府中で絶賛放送中の番組、「シネマ三銃士Z」を母体とするブログです。放送では収まりきらない思いの丈のほか、ラジオで放送したものとは関係ない本のことや音楽のことetcを綴っていきます。FM府中ポッドキャストもよろしくね!http://fmfuchu.seesaa.net/

不定期刊「三銃士スポーツ」その2 「いくつかの引退」

彼の指先から放たれたボールは美しい放物線を描き、フープに触れることなくネットを通り抜けて行った。僕らは何度その光景を目にしたことだろう。ディフェンスをあざ笑うようなフェイダウェイショット、立ちはだかるブロックをかいくぐるダブルクラッチ、相手の気持ちを挫く華麗なダンクシュート、そして試合を決めるスリーポイント。この20年間、コービー・ブライアントは様々なやり方でポイントを重ねていった。通算得点の32482ポイントはNBA歴代3位、彼よりも得点を重ねているのはカリーム・アブドゥル・ジャバー(ブルース・リーの死亡遊戯に出てた人)とカール・マローンだけだ。バスケットボールに関心のない人でも知っているであろうマイケル・ジョーダンよりも点を取っているのだ(32292ポイントでジョーダンは歴代4位)。

何千、何万回と、僕らはその光景を見てきた。コービーがポイントを挙げる瞬間を。しかし、もうそれを見ることはできない。2016年4月13日のユタ・ジャズ戦を最後に、コービー・ブライアントは現役を退いた。

僕のNBAを見るようになったのは2000年前後の事だった。その頃リーグの中心にいたのは、ケビン・ガーネット、アレン・アイヴァーソン、トレイシー・マグレイディー、ヴィンス・カーター(シドニーオリンピック、フランス戦でのディフェンス越えダンク!)、そしてコービーブライアントだった。ジョーダンは二度目の引退をしていた頃で、次代のNBAのエースの座を巡って群雄割拠といった様相だった。その中で、日本で人気のあったのはアイヴァーソンだったように思う。当時はやっていたヒップホップ系のファッションで、まあそんな感じのBボーイたちに人気があった。しかしながら、僕のお気に入りはコービーだった。その頃はまだアフロヘアで、アディダスのバッシュで、背番号は8だった。

コービーは高校卒業後の1996年ドラフトでホーネッツに指名されNBA入り、直後にトレードでLAレイカーズに移籍し、キャリアのすべてをそこで過ごした。ちなみにKobe、コービーという名の由来は神戸牛だ。プロバスケットボールプレイヤーだった父親が日本を訪れた際に食べた神戸牛に感動して息子にその名をつけたのだという。なんじゃそりゃ。名前の由来で思い出したけど、ボストン・レッドソックスに在籍したノマー・ガルシアパーラのノマー(Nomar )は父親のRamonをさかさまにしたものだったように思うけど、これは完全に関係のない話。

20年のキャリアでコービーは5度NBAファイナルで勝利し、チャンピオンリングを5つ手にし、オリンピックで優勝して金メダルを得ている。はっきり言って、順風満帆、栄光に彩られている。

一口に栄光と言っても、その20年間、様々なことがあった。シャック&コービーでの三連覇、そのシャックとの不仲説、シャックの去ったあとの低迷とそこからの連覇、アキレス腱断裂と肩の故障で晩年はかなりつらいプレーが続いたし、チーム自体もかなり厳しい時期を迎えた。それは今も継続している。これからレイカーズは低迷期、もしかしたら、暗黒時代に入ることになるだろう。コービーはレイカーズの中心であり、象徴であり、リーグの中心であり、象徴であった。リーグの顔はレブロンやカリーがつとめられるかもしれない。しかし、レイカーズの次のエースは不在だ。

NBAにおいて、レイカーズは特別なチームだ。唯一ホームでのユニフォームに白を使わないことが許されている。レイカーズのあのゴールド(黄色ではなくてあくまでもゴールドだ)はレイカーズが特別な存在であるしるしだ。その姿がNBAのロゴマークになっているジェリー・ウェスト、歴代最多得点カリーム・アブドゥル・ジャバー、アービン"マジック"ジョンソン、そしてシャック&コービー、数々のスターを擁し、1960年以降でプレーオフに進出できなかったのは4度だけだ。レイカーズは常勝が義務づけられたチームだ。コービーはそのチームで、シャックの去ったあとの2004年から12年間、ひとりでその重圧を担い続けてきた。そして、結果を出した。それは一重にコービーの献身ゆえのものだ。コービーほど献身的な選手を、僕は知らない。何に対しての献身か?バスケットボールに対する献身だ。コービーはそれに自らの持てるものすべてを捧げ、それと引き換えとして栄光を手にした。ブルースシンガーのロバート・ジョンスンにはクロスロード伝説というのがあって、いわく十字路で悪魔に魂と引き換えにギターの超絶技巧を手に入れたというのだけれど、コービーもまた魂を捧げていたのだ。それはある晩に十字路で、なんて簡単なものではなくて、毎日毎日、ジムに通い、コートに立ちながら、そして汗をかきながら捧げてきたのだ。名選手たちが去る時にはいつも感じることだけれど、もう二度とこんな選手は現れないのではないか。コービーよりも点を取る選手は現れるかもしれない。コービーよりも多くのチャンピオンリングを手に入れる選手は現れるかもしれない。しかし、コービーほど献身的に、すべてを捧げられる選手は現れないのではないか。
コービーなきあとのリーグの顔にレブロンやカリーの名前を挙げたけれど、僕にとってのヒーローはあくまでもコービーだ。マジックやバードじゃないし、ジョーダンでもない。レブロンやカリーでもない。
「コービー?もう古いよ。今はカリーでしょ」と言うには僕は少し歳を取り過ぎた。これは論理的なものではなくて、そういうものなのだ。たとえコービーの次のレイカーズのエースが現れても、僕にとってのヒーローはコービーだけだ。雛鳥が最初に見た動くものを親と思うように、僕のヒーローはコービー以外にはありえない。
ああ、コービーがいなくなってしまうなんて、なんて寂しいんだろう。

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 現役最後の試合で、コービーは60得点を挙げ、そしてチームを勝利に導いた。これが引退する選手だって!たぶん誰もが思ったことだろう。試合後のインタビューでコービーが笑っていたけれど「今まではパスを出せ!って言われ続けてきたけど、今日はパスを出すな!って言われて面白かったよ」という状況だったから、コービーにボールが集まってきて、打てる状況が作られてはいたのだけれど、とはいえそれを決めなければポイントは稼げないし、試合にも勝てない。決めてしまうところがコービーのすごいところだし、コービーらしい。

コートサイドには当然のことながらジャック・ニコルソンデイヴィッド・ベッカム、ジェイ=Z、スヌープ・ドッグ、その他有名人が大勢詰めかけていた。そして盟友のシャキール・オニール。コービーとシャックの笑顔で抱き合う様子に涙がこみ上げる。

最高のラストゲームだった。お疲れさま、そしてありがとう、コービー。

さてさて、同じ時期に日本でも引退した選手がいた。
まずは北島康介だ。
北島についてはその実績を説明する必要もないだろう。アテネ、北京とオリンピック二大会連続で100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎで金メダル、世界記録も出した。「超気持ちいい」や「なんも言えねえ」なんて名言も残した。しかしながら、彼の最大の功績は、日本人選手が世界で活躍してもいいのだ、ということを示した点にあるのではないか。これはもしかしたら、水泳に限らず、他の競技にも影響を与えていたかもしれない。

それまで僕らは(あえて日本競泳界とは言わない。僕の個人的な感覚だけれど、これはそういう狭い世界に限らず、この国全体を包み込むある種の空気だったように思うからだ。)、日本人が世界で対等に戦えるということが信じられないでいたように思う。もちろん、北島康介以前にも世界の舞台で戦った日本人はいた。古くは古橋、鈴木大地岩崎恭子も世界で結果を出している。競泳界以外にも視野を広げてみれば、野球では野茂やイチロー、サッカーの中田英寿などなど、世界で活躍する日本人選手はいた。しかし、それらはあくまでも「特別」なことであり、特別な状況や特別な人間にのみ許されたことのようだった。誰もが世界で戦うことを「挑戦」として受け止めていて、それは日本という枠組みの一つ上のステップにあるもののように捉えられていた、ように思う。

それが、北島康介の登場によって崩されたのではないか、と僕は思うのだ。彼はあまりのも当たり前に世界で戦い、そしてそこで結果を出した。「お客さん」としてそこで戦うのではなく、あくまでもプレイヤーの一人としてそこで戦っていた。朝ドラ「あさが来た」風に言えば、彼は「ファーストペンギン」だったように思う。彼が飛び込み、そして切り開いたことで、世界の舞台で戦うというハードルが低くなった、いや、無くなったのではないか。それはここと地続きの場所なのだ。最近の選手たちはそこで戦う際にも変な気負いを背負っていないようにうつる。

 北島康介はいつもにこやかで、明るくて、まるで太陽のような人だった。彼がいないのもまた寂しい。

最後に田児賢一を上げよう。彼に関して、説明するまでもないかどうかは微妙なところのように思う。もちろん、多くの人が彼の名前を知っていると思うけれど、それは彼のバドミントン選手としての実績ではなく、彼のやってしまったこと、違法カジノに出入りしていた事件のことでだろう。

現時点で彼は引退を表明していないが、事実上の引退状態なのではないか。あの件で、日本バドミントン協会は田児に対して無期限の協会登録抹消の処分を決定し、所属先のNTT東日本からは解雇されている。

彼は間違いなく日本バドミントン界の希望だった。全日本総合選手権男子シングルス6連覇、世界ランクは最高で3位にまでなった。闇カジノの件では桃田の方がオリンピックでのメダルが期待されていたようにうつるかもしれないが(事実リオに関してはそうだった)、それまで一番期待されていたのは田児賢一だった。

僕が田児の存在を知ることになったのはNHKの番組で取り上げられていたからだ。その時もやはり悲願のメダル、ということが強調されていた。

いろいろ調べると、田児は非常にストイックな選手だったことが分かる。生活すべてをバドミントンに捧げてきた選手だ。ある記事では、ギャンブルをするのは運を鍛えるためだと発言していたという。実際、勝負ごとにおいて運が勝敗を左右することは多い。

ネットにかかったシャトルがこちらに落ちるのか、それともあちらのコートに落ちるのか、それにはもう普通の練習では越えられないなにか、運と呼ぶしかないものの作用によるところが大きい。

もしかしたら、限界まで鍛え上げたにもかかわらず越えられない壁が、彼の前に立ちはだかっていたのかもしれない。そして、それを超えるには運を鍛えるという発想以外にできなかったのかもしれない。

果たして彼は許されるべきなのか、僕にはわからない。田児賢一はコービーや北島のような引退をすることが可能な選手だったのは紛れもない事実だろう。才能を持ち、全てを競技に捧げた。彼らを分かったものは何だったのか。

と、こんなことを書いていたら、田児賢一が海外で現役を続行する道を模索するというニュースが入ってきた。これには賛否両論、むしろ否定的な意見が多く出てきそうだ。

しかし、バドミントンにすべてを捧げてきた男に他の道を歩むことはできないのだろう。本人も批判が出ることは百も承知に違いない。それでもなお、彼はその道を選ぶのだ。田児賢一を応援しようと呼びかけるつもりはない。呪詛の言葉をぶつけ、石を投げつけ、ブーイングを浴びせるのもいいかもしれない。それでも、僕は彼の戦う姿を見たい気がする。それでもなお戦う男の姿を、見たいと思う。