「三銃士スポーツ」略してサンスポ第3回 ダービーだ
明日は特別な日だ。妻の誕生日であるとか、結婚記念日だとかではない。もちろん、それらが特別な日ではないというわけではない。
日本ダービーだ。
明日5月29日、東京競馬場で東京優駿(日本ダービー)が行われる。
今年の出走馬や、予想については多くのメディアが取り上げているからそちらを読むといい。確かに、今年のメンバーは胸躍らせるものがある。ここに至る以前の段階から、超ハイレベルのダービーになりそうだとは思っていたけれど、競馬にはアクシデントがつきもの。故障などでダービーに出走できなくなってしまうということはままある。強い馬たちが順調にここまで駒を進めてこられたことはうれしい限りだ。
それは措く。
この日にたどり着くまでを描こうかとも思ったけれど、それもやめる。
2013年にこの国で生まれた6913頭の馬たちの中から選ばれた18頭。それぞれに多くの人の思いが詰まっている。生産者、育成牧場、厩務員、調教師、騎手、そしてこうした競馬サークルを支える競馬ファン。まだまだ多くの人たちがここにいたるまでで関わっている。もっと言えば、18頭に流れる血統。そこにも多くの人たちの思いが詰まっている。彼らの父母もまたそして祖父母もまた、多くの人の手で支えられ、作り出されたものだからだ。競走馬であるサラブレッドは、その繁殖に人の手が関与しており、それは自然のものとは一線を画す、あるいは人間の作り出した最良の芸術品と呼んでも過言ではないかもしれない。しかし、それほどまでにひとつの生物種の繁殖に関与してしまったからこそ、僕たち人間の彼らサラブレッドに対しての責任はとてつもなく重いものだと思う。どこかで気軽にそれを放棄するなんてことは決してできないし、してはいけないことだ。
まあ、これも別の話。サラブレッドのお話はまた別の機会に書こう。ありていになるのを恐れずに言えば、18頭は僕たちの夢の結晶だ。
さて、冒頭僕はダービーの日は特別だと書いた。日本ダービーは特別だからだ。だいたいの競馬ファンはこれに異議を唱えないだろう。
しかしながら、ダービーがなぜ特別かを説明しようとするとなかなか難しいことのように思う。
ダービーはなぜ特別か?
ダービーは三歳限定だから、一生で一度しか出走できない。しかし、それなら皐月賞や菊花賞だってそうだ。NHKマイルカップもそうだ。それらのレースだってそれなりの格式があるけれど、ダービーほど特別ではないだろう。他のレースとの違いは何か?距離?ダービーはいわゆるチャンピオンディスタンスである2400メートルで争われる。しかしながら、この距離をチャンピオンディスタンスと呼ぶのは若干時代錯誤な気がしないでもない。レーシングプログラムの整備された今のご時世、どの距離にもちゃんとした賞金の出るレースがある。賞金?確かに三歳のレースとしては最高額が出されるが、それが日本ダービーを特別にするだろうか?
そもそも、「ダービー」を名乗るレースは世界に星の数ほどある。本家本元のイギリス、ダービーステークスは言うまでもないけれど、フランスにも、アイルランドにも、ドイツにも、イタリアにも、競馬が行われているところならどこにでも「ダービー」はある。それでもなお、日本ダービーこそが僕らにとっては特別なのだ。
ダービーはなぜ特別か?思うに、それは日本ダービーが日本ダービーであるからこそ特別なのではあるまいか。その特別さは、それが特別だから特別なのだ、としか言い様のない種類の特別さなのだ。
考えてみれば、おおよそすべての特別さはそうしてしか説明ができない。
「それは特別だから特別なのだ」
いかなる要素を積み重ねようとも、それらを根拠に特別さは生まれない。それはそうした論理とは別の所にある。
それは多くの人が特別だと思っているから特別になるのとも違う。特別なものは特別だから特別なのだ。日本ダービーは日本ダービーゆえに特別なのだ。
さて、明日は特別な1日だ。なにしろ日本ダービーがある。