ブログ三銃士

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テーマ解説:「フランスの泥棒」(2015年5月17日放送「YAMAKASI」・2015年5月31日放送「ミックマック」)

「フランスの泥棒」というテーマ設定をして、2015年5月17日放送回で「YAMAKASI」と2015年5月31日放送回で「ミックマック」の2本を取り上げました。正直、この「フランスの泥棒」というテーマでくくるということには若干の無理があるのは承知なのですが。

 フランスの泥棒、と言ったら誰を思い浮かべますか?『泥棒日記』や『花のノートルダム』のジャン・ジュネを真っ先に思い浮かべるのではないでしょうか。ん、ルパン?ああ、ルパンもフランスか。ジュネは若い頃に窃盗や乞食、男娼、わいせつ、麻薬密売といった犯罪を繰り返し投獄されます。このとき、初めての詩集『死刑囚』を自費出版しました。そして、その文才をコクトージャン=ポール・サルトルら知識人に認められ、最終的には大統領の恩赦を獲得しています。ジュネの前に、同様に犯罪者でありながらその文才を認められ、知識人の注目を集めたのはピエール・フランソワ・ラスネールです。彼の場合にはギロチン台送りになってしまいますが。

こうした例を見ると、なんだかフランスは犯罪者に対してある種の寛容さを持っているような気がしてきたのです。そこで取り上げたのが前述の2本「YAMAKASI」と「ミックマック」です。まあ、「ミックマック」ではあんまり泥棒をするわけではありませんが、共通するのが権力や金銭による力に対して抗おうとする意志が感じ取られるという点です。「YAMAKASI」では警察や富裕層、「ミックマック」では兵器会社がその標的とされます。主人公たちは自分たちの持てる能力を駆使して、これらの敵と戦うのです。社会的には弱者とみられうる立場の人々であり、事実これといった武器を持たない彼らの頼みとするのは知恵と勇気、そんな彼らが敵を打ち負かす姿はやはり痛快なものです。とはいえ、そこには自分たちの信じる正義を全うするには法を犯すこともやむを得ないという考え方があり、それは実に危ういものではあるのですが。これは特に「YAMAKASI」において顕著な傾向です。

ある意味で「ミックマック」で敵としてあらわれる兵器会社はわかりやすい「悪」であるように思えます。彼らは自分たちの私腹を肥やすために兵器を売り、それが多くの人を傷つけているのですから。主人公であるバジルはその被害者の一人であり、彼が多くの被害者の代表として兵器会社に復讐するというのは筋が通っているし、非常に腑に落ちる。

それに対して「YAMAKASI」では、主人公たちに憧れた少年に心臓移植が必要となります。その少年を助けるには手術費用40万フランが必要となりますが、貧しい主人公たちにはとてもではありませんがそんな大金はありません。彼らは、40万フランをそろえない限りジャメルの手術を行わない、という病院の理事長たちの家から、その金を集めることにします。集めた金は、すべて手術費用とする。「それなら問題ナシだ!」、とこうなる。問題ナシでしょうか?それは明らかな犯罪行為であり、また、受ける手術が心臓移植ということになれば、彼らが不法行為を犯して手に入れるそれを、合法的に手に入れることになっていたはずの人の存在を思い浮かべてしまい彼らの行いを素直に楽しめない、という方がいても何ら不思議ではありません。彼らが不法に手にするそれで命の救われるまっとうな人がいたのかもしれない。

しかしながら、その物語が物語として成立するフランスの社会、というものを少し考えてみるのもいいのではないでしょうか。なぜ「YAMAKASI」のような物語が成立しうるのか?

ちょっと話はそれるように思われるかもしれませんが、まずサッカーフランス代表を思い浮かべみましょう。画像検索でもかまいません。一目見れば気づくことと思いますが、有色人種の割合が非常に高いのがお分かりいただけると思います。まあ、これはちょっと乱暴な例の挙げ方かもしれないけれど。

フランスはヨーロッパの中で最も多く移民を受け入れた国です。第二次大戦以降、労働者不足緩和のため旧植民地出身者を中心に移民を大量動員しました。最高のサッカー選手の一人であるジネディーヌ・ジダンアルジェリアからの移民の子孫です。

YAMAKASI」の主人公たちもまた非ヨーロッパ系の人々です。アジア系もいれば、アフリカ系もいます。彼らの友人の家でムスリムの礼拝をする姿が映っていたりします。舞台となるのも、パリのはずなのですが、そこには僕らのイメージする、エッフェル塔や凱旋門やシャンゼリゼ通りは出てきません。彼らの住むのはみすぼらしいアパートです。

移民を多く受け入れてきたフランスですが、1980年代ごろからの慢性的な不況により、階級格差や雇用不安が広がり、その原因を移民に求める傾向が出はじめます。彼らはフランス社会において厄介者扱いされていくのです。

2005年には、強盗事件を捜査していた警官が北アフリカ出身の若者3人を追跡したところ、逃げ込んだ変電所において若者2人が感電死し、1人が重傷を負うという事件が発生します。この事件をきっかけに、同夜、数十人の若者が消防や警察に投石したり、車に放火するなどして暴動へと拡大しました。パリ郊外は貧困層の住む団地が多くスラム化していて、失業、差別、将来への絶望など積もり積もった不満が一気に噴出したものとみられています。

こうした社会背景を考えてこそ、「YAMAKASI」の物語がほんのり見えてくれるような気がします。彼らの行いは、彼らと同じような境遇にいる人たちには共感を与えるものになりうるし、彼らの溜飲を少なからず下げてくれるものにもなるやもしれません。とはいえ、だからといって犯罪行為に走ることを認めることはできませんし、当然それを賛美することも、称揚することもできませんが。

危険なのは「正義のためなら何をしてもいい」という考え方でしょう。だいたいみんなが自分のことを正義を行う存在だと考えており、なんだかこの惑星上には正義しか存在しないようにすら見えます。

しかしながら、「YAMAKASI」はそういうこむずかしいことを考えながら物語を楽しむことを主眼に置いて作られた映画ではないであろうというのもまた事実です。この映画の見どころは主人公たちのアクションに他なりません。

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そもそも、この「ヤマカシ」というのは、パルクールのチームの名前です。パルクールって何ぞや、って方は上の動画をご覧ください。「YAMAKASI」でもこのようなアクションシーンがばんばん出てくるのですが、まあ見どころはそれです。そのアクションシーンが第一で物語はそのために作られており、言い過ぎかもしれませんがそれは二次的なもののようにすら思えます。

というわけでテーマ「フランスの泥棒」でお送りしたわけですが、単なるといっては失礼かもしれないけれど、アクション映画であっても、その社会のある側面を垣間見せてくれることがあるのではないか、映画にはそういう見方もあるのではないか。いやあ、映画って本当に面白いですね。