ブログ三銃士

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シネマディクトSの冒険 ~シュウの映画時評・第二回「マイ・ファニー・レディ」~

ピーター・ボグダノヴィッチ「マイ・ファニー・レディ」(アメリカン・ビスタ、93分)

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 あの「ペーパー・ムーン」を撮ったボグダノヴィッチの13年ぶりの新作、しかもコメディであるというだけで映画館に駆けつけなくてはならない十分な一つの理由になる。それに加えて、1939年生まれのこの監督が、フレッド・アステアマリリン・モンローオードリー・ヘップバーンハンフリー・ボガードローレン・バコールといった、いささかこちらが恥かしくなるような往年のスターとモノクロ時代のハリウッド映画を追想し、それに対する憧憬を隠そうとはしないどころか、胸を張って再現しようとし、現代的なかたちでそれに成功していることは感動的ですらあり、その意味でこの邦題は原題を上回っている稀有な例である。この作品が下敷きにしている最も重要な作品は劇中で明かされるから、ここでは伏せておくことにしよう。しかし、そもそもこの映画そのものがオマージュだという偉大さを忘れてはならない。

 

 ところで先ほど現代的な成功といったが、現代的とは、プロデューサーに名を連ねているウェス・アンダーソンとノア・パームバックの影響が見られるという意味である。主演の売れっ子舞台演出家はウェス・アンダーソン作品常連のオーウェン・ウィルソンであり、いつものことながら宇宙人のような、別世界の住人のような、という意味での非人間的なユーモアと、諦観を含んだ気の良さを発揮している。この演出家はことあるごとにコール・ガールを呼んで「クルミをリスにあげることが喜びである人がいるなら、リスをクルミにあげて喜ぶ人が居たっていい」というようなエピソードを殺し文句に、その女性に3万ドルほどの大金を寄付してコール・ガールをやめさせるという趣味を持っている。彼は全国を飛び回って同じことをしているが、彼には妻がいるから、このことが全てのドタバタ劇の根源となるのだが、この古臭さとバカバカしさは素晴らしい脚本だと言うほかない。

 

 本作でそのコール・ガールを演じるのがイモージェン・プーツで、カーアクション映画の傑作「ニード・フォー・スピード」でも抜群の存在感を放っていたことが記憶に新しい。本作はコール・ガールから女優になった彼女がインタビューを受け、それによって回想形式で物語が展開するというかたちとなっており、さらにこの脚本の構造上、少なくとも5パターンの明らかな演じ分けを必要とするのだが、それを見事にこなすのは彼女の表情の豊かさである。シニストのインタビュアーに「あなたはコール・ガールだったんですね?」と詰め寄られても、言葉の本来の意味で確信犯的に「私はミューズでした」と自信満々に答え、オードリー・ヘップバーンの言葉をモットーにしていると引用するイモージェン・プーツはまさしく古典的ミューズであった。

 

 劇中に、銃は何も生み出さないが、拳は何かを生み出す、というようなセリフがあった。この映画には平手打ちやグーパンチが様々に出てくるが、極めて分かりやすい人間関係の変化を表すと同時に、確かに何かが生み出されている。それは例えば動きであり、笑いである。だが何よりも注目すべきなのは、この映画に出てくるパンチは、ウェス・アンダーソングランド・ブダペスト・ホテル」に出てくるパンチ、あの三回連続のパンチに他ならないということだ。抽象的にいえば、ウェス・アンダーソン映画におけるファンタジー性を取り込み、映画そのものの魅力、ファンタジーとして現実を再構成しているといえる。

 

 ブロードウェイを中心としたコメディということで、全体的に近いのはウディ・アレンの傑作「ブロードウェイと銃弾」であるが、この映画はウディアレンほどシニカルではないし、何よりも銃弾は出てこない点が異なる。この映画のように、人間関係や状況がどこまで破綻してめちゃくちゃにになったとしても楽観的でハッピーエンドしかみえない。それこそがハリウッドの古典コメディ映画としてのスクリューボール・コメディの条件であるかもしれない。その意味では、フレッド・アステアジンジャー・ロジャースが「トップ・ハット」で優雅に踊った名曲Cheek to cheekが流れるオープニングでの字幕による説明と、そこから始まるインタビューの冒頭部分、イモージェン・プーツが前置きとして何を述べるかということがこの映画の本質を構成している。決して見逃すなかれ。このオープニングに比べたら、エンディングなどどうでもよろしい(勿論あれはあれで笑ってしまうのであるが)。

 

 一部の人間に推薦することができるSFシリーズ最新7作目の136分よりも、この93分を万人に推薦しなければならない。それが、この「マイ・ファニー・レディ」が擁護しようとする「映画」を擁護することである。