ブログ三銃士

このブログは、FM府中で絶賛放送中の番組、「シネマ三銃士Z」を母体とするブログです。放送では収まりきらない思いの丈のほか、ラジオで放送したものとは関係ない本のことや音楽のことetcを綴っていきます。FM府中ポッドキャストもよろしくね!http://fmfuchu.seesaa.net/

中学国語教科書を読む―その5―

平成24年度版中学校国語教科書『中学生の国語』|三省堂「ことばと学びの宇宙」

 

 今回は漢詩と漢文を扱う。中学一年生でもこんなのをやったっけか。あまり記憶にないが、有名な孟浩然「春暁」と論語による「吾、十有五にして学に志す…」のやつ。

 

 「春暁」は素晴らしい漢詩で、「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知る多少」というものである。春の眠りが心地よくて、ついつい朝寝坊してしまった。外からは鳥のさえずりが聞こえる。昨夜は風と雨が激しかったようだが、花はどれほど散ってしまっただろう、と多分布団の中で想像している。「あっ、こんな時間か。学校へ行かなきゃ!」と焦る様子もないようだから、二度寝するに決まっている。実際これを書いた孟浩然は、官吏としての出世の道はうまくいかず、放浪した生活からこの詩を書いた。

 

 教科書には白文、つまりオリジナルの漢詩そのものは載せられておらず、日本語のまま読めるようにした書き下し文と、その下に現代語訳だけが載せられている。押韻やら返り点やらはまだ早いというわけだ。しかし、春眠不覚暁を「春眠暁を覚えず」は不自然だ。ふつうこの文脈であれば「覚」という漢字は覚える、ではなく「目が覚める」という意味合いで考えるのが普通で、「春眠、暁に覚めず」と読むべきだろう。特に漢文の知識もないが、これは中学生の頃から確信している。これについて知り合いの中国人に聞いてみると「どっちでも意味は同じだ」と言われてしまったけれども、それは中国人からすれば日本人がどう読もうが「春眠不覚暁」だからいいのかもしれないが、「覚えず」か「覚めず」では全く違う。意味が同じだからといって読み方がどちらでもよいことにはならない。「花落つること知る多少」の部分にも争いがあるが、割愛しておこう。

 

 もう一つは有名な「不惑」の由来となった論語の一節である。十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従って矩を越えないらしい。これは有名な一節で、とりあえず「一般常識」的には四十歳が不惑ということを覚えておけばよいのだろうが(知命とか耳順とか必要ある?)、キオスクで売ってそうな論語をネタにした啓発本を鵜呑みにしたおじさんは結構多いから気をつけたい。僕は校長が全校生徒に向かってこれを話していたことを覚えている。しかしこれを人生訓にするのは勝手だが、誰でも惑わないような人間になれるわけではなく、まず出だしの「十有五にして学に志す」という高いハードルをクリアしなければならない。十五歳で学問を志すというこの難関は、これを読ませられるであろう13歳の中学一年生からすれば中学三年生、高校受験の時期にあたるわけだが、ここで大半はこの「論語コース」から脱落する。かくいう僕も学を志したというほどの気合は全くなかったわけだが、別に僕はくだらない人生訓なんて気にしないからどうでもいい。言いたいことは、十五歳で学問を志した奴だけが偉そうにこの孔子の個人的経験から成る一節の講釈を垂れる資格があるということだ。

 

 しかし孔子も六十歳になってようやく耳順う、すなわち他人の意見を素直に聞くようになったのか。けっこう手のかかるおじさんである。それどころか、七十歳にもなって自分の思うとおりに行動しても人の道を外れないようになった、とさえ言っているのだから、スケールが違う。既に天命を知り、他人の意見を素直に聞く老人が、七十歳にもなって人の道を外れそうなことをするとも思えないが、そういうことを七十で思いつくだけ元気で喜ばしいということだろう、多分。孔子は72歳か73歳で死んだそうだから、余計にそう考えてしまう。そういうわけで、八十にしてどうなるかはよくわからないままだ。

 

 

儒教とは何か (中公新書)

儒教とは何か (中公新書)