ダイスケつれづれ 第1回「だいたいのネタはインターFM、最近は」
さてさて、なんだか真面目くさって映画の話ばかり書いていても飽きるので違う話。
「シネマ三銃士Z」では毎回1曲音楽を取り上げます。ポッドキャスト版では諸々の問題があるためにそれを流すことはできませんが・・・。
この1曲、映画で使われた楽曲をかける場合もあれば、そうでない場合もあります。そうでない場合はどういう場合かというと、その回で取り上げた映画にめぼしい楽曲が無かった、というような場合です。ドキュメンタリー映画なんかを取り上げた場合、そういう事態に陥るケースがままあります。これまで、そういう場合には、その映画のタイトルなんかからこじつけで1曲決めていたことが多かったのですが、最近では居直って完全に関係のない、かけたいものをかけることが増えてきました。番組の構成上それでいいのか、という問題はありますが、でもかけたい曲があるんですもの。
とはいえ、「ぼくの」かけたい曲が自由にかけられるかといえば、そういうわけにもいきません。番組にはぼく以外のメンバーもいるわけで、その合議で最終決定がなされます。まあ、一応。
で、ここでちょっとぼくの好きな曲を紹介しようかと思うのです。ここでなら自由ですから。もしかしたら、いずれラジオで取り上げるかもしれないし、取り上げないかもしれませんが。
以前、ぼくの音楽的な嗜好に多大な影響を与えていたのは、MTVであり、スペースシャワーTVでした。まあ、単純な話で、そのころぼくは実家暮らしで、実家では(贅沢なことに)そうしたチャンネルの見られる環境があったのです。だいたいぼくの高校生くらいの頃から10年間くらい、ぼくはこれらのチャンネルから音楽の情報を得ていました。
そのころ好きだったのは、キリンジとか。高校生のころ、たまたま目にした「牡牛座ラプソディー」に一発でやられました。この歌詞、すごくないですか?訳が分かんない。でもそこがよかった。「エイリアンズ」や「drifter」なんかは直球な感じはしますが、やっぱり歌詞が面白いですよね。もちろん曲も最高でしょ。
東京60ワッツやTHE COLLECTORS、group_inou、スパルタローカルズ、ハスキングビー、クラムボン、Matisyahuなんかは完全に上述のチャンネルで出会いました。なんだかんだいまだに聴くといい曲だなあ、と思うのです。たぶん思い出補正抜きにいい曲ばかりだと思うんだけれどどうだろう?
さて、いま、ぼくは実家から出てしまったので、これまで享受していた贅沢からも出て行かなければならなくなりました。数ある不安の中の一つが「音楽チャンネルが見られなくなったら、新しく出てくる面白い音楽を聴き逃してしまうのではないか」ということでした。
実際、当初はまるで音楽を聴かなくなりました。20代前半のころには、「おじさんになっても新しい音楽をちゃんと知ってるかっこいいおじさんになりたい」と思っていたにもかかわらず。「へー、最近の若い子ってそういうの聴くんだ。いやでもさ、おれの若い頃聴いてた音楽の方が最高でしょ」みたいになりそうな感じでした。
そこでぼくに救いの手を差し伸べたのがラジオだったのです。
というか、それまでぼくは自分がラジオで話していながら、ラジオをほとんど聴いていませんでした。だって、ラジオってあんまり聴かなくありません?
そんなぼくがラジオを聴くようになったのは、これも環境の変化が影響していて、自動車を運転する機会が増えたことにあります。まあ、言ってしまえば仕事で車を運転するようになったってことです。しかも、CDプレーヤーなんかついていなくて、ラジオしかないような車です。でも、無音のまま何時間も運転するのは結構苦痛です。そこで、しぶしぶラジオを聴くようになったのです。(しぶしぶ?)
最初、聴き始めたのは文化放送でした。確か吉田照美さんの番組です。で、それをきっかけに文化放送リスナーになりました。
朝、「おはよう寺ちゃん 活動中」から始まり「福井謙二 グッモニ」「くにまるジャパン」「大竹まこと ゴールデンラジオ!」と聴きます。まあ、どの番組も好きですけど、「福井謙二 グッモニ」の福井さんと水谷さんのちょっとゆるい感じが好きだったりします。
ぼくの一日のラジオを聴くスケジュールはこんな感じです。そして、その後なんですが、そのまま文化放送を聴いていれば、ぼくを文化放送に導いた吉田照美の「飛べ!サルバドール」なんですが、ぼくはそこでinter FMに浮気をするようになってしまいました。それがどんなきっかけだったのかは覚えていません。まあ、だいたいのものごとはそんなものでしょう。
inter FMでその時間放送しているのが「Ready Steady George!!」です。ジョージ・ウィリアムスとシャウラの二人でやっているこの番組がぼくのお気に入りであり、音楽情報のすべてです。ジョージはぼくがそれまで見ていた音楽専門チャンネルにも出ていたりして、とりあえずなじみはありました。たぶんそこらへんがその番組を聴くようになった要因の一つでしょう。
で、ぼくが最近聴く音楽はだいたいこの番組で聴いたものです。具体的に挙げると、cero、ROTH BART BARON、Yogee New Waves、ykikibeatなどなど。ykikibeatはCMで楽曲が使われていました。情報源が一つだと偏りが出てきそうでそれはそれで不安もありますが、全然ないよりはいいですな。
さて、最近になってラジオを聴くようになったぼくなのですが、聴いてみるとすごく面白いんですよ、これが。なんというか、ラジオにはラジオにしかない距離感があるように思います。ほかのメディアにはない、送り手と受け手の親密な距離感が。これがどういった要因で発生しているのかはわかりません。あくまでぼくの感じていることであり、ぼくだけが感じていることなのかもしれませんし。
人間は外界の情報の80%を目から得ているといわれます。事実、ぼくたちは日常生活の多くの部分を目に頼っており、もしもそれが急に失われてしまったら大変な不便を感じるでしょう。ラジオではこの視覚情報というものが届けられません。あるのは聴覚だけです。
Video Killed The Radio Star(邦題:ラジオスターの悲劇)なんて曲があります。この曲ではラジオスターが映像に殺されるということを歌っています。映像の衝撃とはおそらく凄まじいものだったのです。この曲のビデオクリップは、MTVで最初に放送されたビデオクリップです。この曲の主題自体はラジオの時代、つまり過去へのノスタルジーであるにも関わらず、MTVという映像の時代の幕開けを飾ることになったのです。
MTVが開設された1981年以降、音楽と映像は切っても切れないものになっていきます。マイケル・ジャクソンはその流れに乗った代表格でしょう。彼は積極的、意欲的にミュージックビデオを作りました。もちろん、彼にはそれを可能にするダンスパフォーマンスの能力があったというのは一つの前提条件だったのでしょうけど。
そして、ミュージックビデオはそれ自体が作品になりました。
まあ、これはこれで面白いのでいいことなんでしょう。否定することはありません。
しかしながら、ビデオはラジオを殺したでしょうか?もしかしたら、一時的にはそうだったのかもしれません。息の根を止める寸前までいったのかもしれません。でも、ラジオは死ななかった。ぼくはそう思います。むしろ、今はラジオにとってとてもいい時代なのだと思います。
たぶんなんですけど、情報技術の進展はラジオというメディアと親和性の高いものだったのではないかと思うんです。
この話、まだぼくの中で煮詰まっていないので今回はこのあたりまで。
続きがあるかどうかはわからないけれど、次回をお楽しみに!