ブログ三銃士

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シネマディクトSの冒険~シュウの映画時評・第六回「母よ、」~

ナンニ・モレッティ監督「母よ、」(ヨーロピアン・ビスタ/107分)

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映画『母よ、』第68回カンヌ国際映画祭エキュメニカル審査員賞受賞 カイエ・デュ・シネマ誌が選ぶ2015年映画第1位 2016年3月公開

 

 表象という点においては記憶と夢に違いはない。我々が記憶と呼ぶものは、ある表象すなわちイメージとして現れるが、夢も同じだからだ。

 

・夢と記憶の違い

 記憶はどの記憶を思い出すかをコントロールできるから、夢とは異なるだろうか。しかし、紅茶に浸したマドレーヌを口に運んだ瞬間に幼いころの記憶を鮮明に思い出すのと同様に、ふとした瞬間に記憶がよみがえることは誰にでもあるはずだ。戦争や虐待など苛酷な経験をした者が罹患するトラウマやPTSDも、自分の意思で思い出しているのではない点で同じである。反対に、時間が経つなどして忘れることもありうるという点も夢と記憶は共通している。僕など最近は夢の内容をほとんど思い出せなくなってしまったし、酒を飲むとすぐに記憶もなくしてしまう。きっと関係があるに違いない。では、記憶は何度も一つのことを思い出すことができるが、夢は一回きりであって同じ夢は観ないから、両者はやはり別だろうか? しかし、不思議なことに、何度も何度も同じ夢を見る人は多い。これは一つの記憶をある程度保っているのと同様だ。

 

・記憶/夢・現実/非現実

 では記憶は「実際に」体験したことで、夢とは違う、夢は「現実」ではなく、記憶は「現実」に起きたことなのだろうか。しかし、これも誰しも理解できるように、記憶は容易に改変される。自分に都合のいいような記憶、話すたびに尾ひれがついていく思い出話、なかったこともあったかのように信じ込んでしまう記憶(そうでなければなぜ自白する冤罪事件などという奇妙なことが起こるのか)。反対に、夢は現実に起きたことではないとなぜ言い切れるのだろうか。むしろ、記憶を勝手に改変してしまうような邪魔な意識が取り除かれた純粋な現実の世界、すなわち超現実的な世界が夢には広がっているかもしれない。シュール・レアリスムと呼ばれた思想運動はまさにそうした考えに根差していたのである。夢と記憶のどちらがより「現実」的かは実は曖昧だ。

 

・記憶=回想のイマージュ

 つまり。記憶とは、過去に起きた(はずの)ことで、いまは存在していない(はずの)ものを、いまあることかのように再=現前(representation)するものである。ポール・リクールはこれを回想のイマージュと呼ぶ。この意味で夢と記憶は異ならない。さらにいえば、映画という表象もまた、これと全く同じである。スクリーンに映っていることは、当然のことながら実際にカメラの前で俳優が演じていたものであるが、当然のことながらその俳優たちはすでにカメラの前には居ないのであって、だけれども当然のことながら観客にとっては今そこにいるかのように現れているのである。

 

記憶・歴史・忘却〈上〉

記憶・歴史・忘却〈上〉

 

 

 

記憶・歴史・忘却〈下〉

記憶・歴史・忘却〈下〉

 

 

 

・「母よ、」

 ナンニ・モレッティの新作「母よ、」は、全く難解な筋書きではなく、年老いて死んでいく母親を兄や娘と共に看病しながら、自らの人生や母とのことを見つめ直していく女性映画監督の話である。このようなストーリーはありふれているが、モレッティの工夫は、記憶すなわち回想と夢、そして映画を撮ることという、さまざまな現実をめぐる表象を交錯させていることにある。そこでは夢と回想は区別されず、混然一体となって主人公マルゲリータを取り囲む。しかしマルゲリータは「現実」とうまく付き合うことができない。母親が病気になってから映画に出演している俳優の恋人とは決定的な理由がないまま別れ、母親とも兄ほどうまく接することができず、娘ともやや疎遠だ。マルゲリータはどうも人生が齟齬をきたしているような気がしている。

 

・現実と映画1

 こうした現実との齟齬を表現するのが、マルゲリータが撮影している映画である。イタリアの労働問題というアクチュアルな社会問題を取りあげようとするマルゲリータだが、常に彼女は「嘘っぽい」「リアルにみえない」などと言い、「そんなことない」と言う周りのスタッフを信用せずに、「現実」との乖離を気にしている。この点で象徴的なのは、スタッフに労働者のエキストラを集めさせ、それをチェックしたマルゲリータが「派手なメイクやマニキュアを塗った若者ばかりじゃない。私は現実の労働者を集めてと言ったのに」というようなことを言ったシーンである。これにスタッフは「これが現実の労働者だよ」と当然のように返している。

 

・現実と映画2

 さらに重要なことは、ジョン・タトゥーロ演じるハリウッドからきた大物俳優の英語とイタリア語の齟齬、ディスクレシアを示唆する「記憶力」の問題(台本が覚えられない)とそれを糊塗するかのような嘘の「記憶」(キューブリックと仕事をした)である。タトゥーロの「いかにも」わからずやで大ほら吹きのハリウッドの大物俳優ぶりには笑ってしまうが、彼もまた現実とうまく付き合うことができない人間なのであって、その意味でマルゲリータと衝突することは必然的である。彼は映画という領域におけるマルゲリータの表象とさえ言えるかもしれない。したがって、彼がマルゲリータのもとを訪れて和解し、イタリア語の台本をなんとかこなし、記憶を自ら訂正するに至ったとき、マルゲリータもまた現実を見つめることができるのである。

 

・現実と自己

 マルゲリータが自身の映画の主演女優にも、そしてタトゥーロにも言う言葉に、役者は役に同化しきるのではなく、役の隣にいることが必要だ、という言葉がある。これは彼女が常に役者にかける言葉のようだ。しかし、主演女優もタトゥーロも明らかにそれを理解していない様子がみえる。後で明らかになるように、マルゲリータ自身もその言葉をよく理解しているとはいえない。しかし、この映画で明らかになるように、記憶にしろ夢にしろ、あるいは映画という表象にしろ、全てが「現実」なるものを特権的に表すことができるわけではない。それはむしろ直接的につかむことはできない「現実」なるものを取り巻いているにすぎない。そして実際には「現実」と思っているものは「自己」に置き換わっているだけなのであり、多くの人は現実と自己を重ねて合わせて安住しているにすぎない。しかし、母親の死という「自己」にとっての重大な事態が訪れると、「現実」と「自己」との間の懸隔に気付くのである。だから重要なことは、「現実」と「自己」そしてそれらを取り巻く記憶との距離感なのである。もちろん、「現実」と「自己」が離れているということなど、他者にとってみれば明らかである。この映画でも兄や恋人は、マルゲリータが極めて独善的であり、自己中心的な人間であることを彼女に指摘している。マルゲリータがそうした厳しい指摘を恋人にされた、と兄に相談した際に、兄はこれまで何回も同じようなことを忠告してきたと述べるが、マルゲリータは「全然気づいていなかった」と苦笑する。これまでマルゲリータの「自己」と「現実」の重なり合いが強固であるがゆえに気付くことができなかったのである。

 

・「役の隣にいること」

 役と同化するのではなく、役の隣にいること。このアドバイスは、本人が自覚していなかったとしても、映画監督としての本能からか、マルゲリータが直観的に「自己」と「現実」のずれを感じとっていたことを示すものである。俳優もまた、役と自己との距離感を問題にしなければならないのである。映画と人生とが、この映画では重ね合わせられている。というよりも、映画は「現実」あるいは人生の表象としての役割を担っている。したがって、母親の死という、本作では最も重要な出来事がマルゲリータの映画の撮影中に知らされるということは極めて象徴的である。「現実」と「自己」との分離、すなわち母の死と自らの映画撮影との分離が決定的に明らかにされた今、マルゲリータはそれに深く悲しみながらも、すぐに家へ戻ることを拒否し、ワンショットを撮り、母親のところへ戻るのである。前作「ローマ法王の休日」のような、どこでもない場所へ逃げ出すのとは全く異なっている。

 

・母親の存在

 これまでのナンニ・モレッティの映画のように、これはあくまで自己を語る映画であり、母親との愛情や母とはなにかというテーマと直接関わっているわけではない。なにしろ母親も元ラテン語の教師であり、マルゲリータと「現実」なるものの象徴である母親との距離感が表現されている。ラテン語は今や使われていない言葉であり、マルゲリータの娘も「そんなものを学んで何の役に立つの?」と問いかけている。記憶や夢も何の役に立つのだろうか? 母親が長年学び、教えて来たその死語を、マルゲリータも娘と共に学ぶようになる。それに釣られるように、元教え子たちが母親がどんな存在であったかという記憶を教えにやってくる。そして「あなたのお母さんは私たちにとってもお母さんだったの」と言う元教え子の話を聞いたときの、全編を通して素晴らしい演技をみせるマルゲリータ・ブイをとらえたこの上ないラストショットが胸を打つ。

 

 

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