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ブログ三銃士

このブログは、FM府中で絶賛放送中の番組、「シネマ三銃士Z」を母体とするブログです。放送では収まりきらない思いの丈のほか、ラジオで放送したものとは関係ない本のことや音楽のことetcを綴っていきます。FM府中ポッドキャストもよろしくね!http://fmfuchu.seesaa.net/

不定期刊「三銃士スポーツ」その1

ぼくらのラジオ番組「シネマ三銃士Z」のオープニングではたびたびスポーツネタ(主に野球と競馬)が話される。まあ、スポーツ好きがいるからだ。ぼくをはじめとして。

でも、ラジオの方はあくまでも映画を扱うものなので、そこで自重している有り余ったエネルギーのはけ口としてブログを使おうと思う。

さてさて、球春到来!というには少し時間がたってしまったけれど、日本ではNPBが開幕し、海の向こうのアメリカではMLBも開幕した。

ぼくは阪神ファンだ。今年の阪神はちょっと楽しい。開幕直後ちょっと調子よくポンポンと勝ったこともあるけれど、それ以上に今年は若手をどんどん起用してくれているのが大きい。開幕で一二番を任された高山と横田は言うまでもないけれど、ずっと期待していた北條や陽川が一軍の試合で使われだした。江越も活躍している。若い人たちが必死にやっている姿はいいものだし、それだけでワクワクさせるものがある。もうそれだけでも十分なくらい。結果は伴えばいうことはないけれど、たとえそうならなくてもいいかな、と思えるくらい。もちろん、ベテランが頑張る姿だっていいものだけれど。

今年の阪神を見ていて感じたのは、プロスポーツの目的は、勝つことではなくて、観客をワクワクさせることにあるのだということ。どんなに連戦連勝でも、ワクワクしなければそんな試合は見ない。少なくともぼくは。「勝利」は当然最大のファンサービスだけれど、それ以外の部分もプロスポーツにはあるのだろう。

そんなことを考えていると、白鵬のことを思い浮かべる。先場所の千秋楽、日馬富士戦での立ち合いの変化についてだ。結果としては白鵬の優勝で幕を閉じた大阪場所だったわけだけれども、なんとも後味の悪いものだった。

ぼくは立ち合いで変化した白鵬を責めるつもりはない。いや、ちょっとはあるかな。やはり横綱であるからには、横綱らしい相撲を取ってほしかった。それはぼくのみならず、すべての観客の思ったことに違いない。そして、その反応があの大ブーイングだったのだ。大相撲はお金を取ってそれを見せているわけで、そうなると観客の期待にある程度まで沿うことが必要とされるのは仕方のないことだろう。白鵬は変化するべきでなかった。なぜなら白鵬は相撲界の頂点に立つ横綱であり、その横綱である白鵬に求められているのは「勝利」ではなく「勝ち方」なのだから。

と、ここまで書いてぼくは白鵬を擁護したい。

ここ数年の白鵬は明らかに力を落としてきている。大阪場所の初日を落とした時に解説が口にした「終わったな」というつぶやきはとても現実味のあるものだ。白鵬はそのキャリアの最終段階にきている。

思えば、白鵬の不幸とはつまり、好敵手のいなかったことに尽きるのではあるまいか。大鵬には柏戸がいたし、北の湖には輪島が、貴乃花には曙がいた。なにも相撲に限らない。村山には長嶋がいたし、江夏には王がいた。浅田真央にはキム・ヨナがいた。テンポイントにはトウショウボーイがいた。彼らはその好敵手と戦うことで人気を高めていった。ファンがみたいのは、ただ彼らの勝利ではなく、彼らが胸を熱くさせる戦いののちに勝利することだった。

白鵬には誰がいるだろう。日馬富士稀勢の里だろうか?なんだか物足りなくはないだろうか。いや、もちろん日馬富士たちを否定するつもりはない。しかし、白鵬の強さを証明するに足る存在感のある力士は現役ではいないのではないか。白鵬がどんなに勝ち星を積み上げようと、結局のところで「周りが弱いんでしょ」という声が聞こえてくる。

同じように不幸だったのはテイエムオペラオーだろう。現時点で生涯獲得賞金が世界一の同馬だが、いまいち人気がない。彼もまた好敵手を欠いた孤独な存在だった。

彼らにとって、勝ち続けることのみがその強さの証明だったのではあるまいか。打ち負かすべき好敵手を欠いた彼らの証明は、そうすることでしかできなかったのではないか。白鵬は63の勝ち星を積み上げることで、テイエムオペラオーは年間無敗、そして獲得賞金世界一を得ることで。しかし、彼らがそうして必死になって勝利を積み上げれば積み上げるほど、「ほら見ろ、あんなに勝てるのは好敵手がいないからだ」と、別の証明がまたなされてしまうのだ。不幸な彼らには、自分の強さを証明する術をもたない。

さて、その不幸な白鵬がそのキャリアに終止符を打とうとしている。大地に根が張ったかと思わせるような強靭な足腰には陰りが見えてきた。「敗北」の二字の想像すらできなかったその大きな背中には黄昏の雰囲気が下りてきている。しかし、そうなってもなお、白鵬翔は戦っているのだ。何とか?それは自分の衰えとに他ならない。衰え、力を失っていく自分を鼓舞し、目をそむけたくなるほど暴力的なかち上げを繰り出し、立ち合いで変化をする。何が何でも勝利を得ることだけを考え、なりふり構わない。それをみっともないと思う人もいるかもしれない。横綱の品格云々を言う人もいるかもしれない。ごもっとも。しかしながら、これはすでに相撲云々ではなく、ひとりの人間がどう生きるかの問題なのだ。

これまで好敵手に恵まれなかった白鵬にやっと好敵手と呼べる存在が現れた。それは全盛期の白鵬自身だ。衰えていく白鵬は、その最強の力士と日々戦っているのだ。もしかしたら、彼はその日々の中で、あの大阪場所千秋楽でぼくらが感じたような落胆を何度も味わっているのかもしれない。あの瞬間、変化し勝利した瞬間、最も落胆したのは白鵬本人だったのではないか。白鵬は戦っており、そしてそれに、かつての自分に横綱相撲で勝利していた自分に勝利しようと思っているのだから。

しかしながら、それは敗北の宿命づけられた戦いなのだ。人は老いに勝つことはできない。どんなに速く逃げようとも、衰えは追いつき、人はそれに敗北するだろう。そこにこそ、その人の人生が露わになるのではないだろうか。

常に勝利を求められ、なにより自身がそれを誰よりも強く求め、そしてそれに応えてきた白鵬は、その敗北によって真の偉大さを手にするだろう。

五月場所が始まる。