ブログ三銃士

このブログは、FM府中で絶賛放送中の番組、「シネマ三銃士Z」を母体とするブログです。放送では収まりきらない思いの丈のほか、ラジオで放送したものとは関係ない本のことや音楽のことetcを綴っていきます。FM府中ポッドキャストもよろしくね!http://fmfuchu.seesaa.net/

「はじめのラジオ講座」第一回「AMとFMってなに?」

シネマ三銃士Z担当ディレクタのはじめです。ラジオ好きが高じて、ラジオディレクタを務めさせていただいております。
 そんな訳で、こちらのブログでもラジオに関する記事を書くことになりました。

 まずは、AMとFMについて書いていこうと思います。
 普段ラジオなんて聴かない人、聴いていてもラジコやポッドキャストだけの人は、AMとかFMって何が違うの?と思っている方もいると思います。そもそもそんな言葉は初耳だ、って人もいるかもしれません。そんなビギナーの方から、ラジオが好きな方まで楽しめるような内容で書いていこうと思います。

↓↓まずは最低限知っておいて損しない話から。ラジオの興味のない人も読んでみてください。↓↓

1.聴く人の視点から
・AMは遠距離受信の楽しみがある
・FMはステレオ放送である

 AMは電波の特性上、遠距離受信が可能です。例えば東京にいながら、北海道や九州の放送を受信することも不可能ではありません。まれに周辺国の放送が聴けることもあります。ただしノイズ混じりにはなるので、放送を楽しむよりは、受信報告の趣味に向いているのではないかと思います。
 FMは電波に乗せられる情報が多いので、ステレオ放送を実施しています。音質もAMよりクリアになります。

2.受信アンテナの違い
・AMのアンテナは「ループアンテナ」がほとんどで、四角い輪っか状。
・FMのアンテナは、棒状・紐状など様々な形状がある。

 AMのアンテナは、ラジカセ等の場合は本体に内蔵されています。受信状況が思わしくない場合は、本体の向きを送信所がある方角に対して直角になるように置いてみましょう。オーディオコンポーネントの場合はループアンテナが別個にありますので、確認してみてください。仕組みが簡単なので、アンテナを自作することもできないことはありません。
 FMのアンテナは、電気を通す物ならあまり制約はありません。ラジカセや自動車についているような伸縮棒のロッドアンテナが一般的ですが、携帯ラジオではイヤホンのコードがアンテナになりますし、人間の体もアンテナになり得ます。本格的なものになると、ダイポールアンテナや、地上波テレビと同様な八木アンテナ的なものもあります。

↓↓ここから先はプラスアルファな情報になります。興味のある人はどうぞお読みください。↓↓

3.伝わり方の違い
・AMは障壁の裏へ廻り込みつつ遠くへ飛ぶ
・FMは障壁さえなければどこまでもまっすぐ飛ぶ

 AMは廻り込む特質があるので、建物や山岳地帯があってもある程度はその先へ届きます。1.で述べた遠距離受信ができるのもこの特質があるからです。
 FMはその反対です。山間部にはいるとすぐに受信できなくなります。なので送信側はなるべく標高の高いタワーや山から飛ばし、受信する側は上層階にいる方が有利になります。建物の中にいる場合は、なるべく窓際など(直接電波が届きそうな場所)にアンテナを張りましょう。

4.送信アンテナの違い
・AMは平坦な広い土地が送信所に適している。
・FMはとにかく高いところが送信所に適している。

 AMの送信所は規模が大きいので目立ちます。特徴を知っていればふとした時に自然と見つけられるようになります。水田や草原や河原、あるいは海上などとにかく平坦で広い土地が必要です。そこに高さ何十メートルものポールを垂直に立てています。
 FMの送信所は、何十メートルのアンテナは必要ありません。形状は異なりますが、家庭の地上波テレビアンテナ程度のサイズがあれば十分です。その代わり、3.で述べた特性上、とにかく標高の高い場所に立っていることがほとんどです。東京都ではスカイツリーや東京タワー、地方では県庁所在地に近い小高い山の山頂に送信所があるケースが多いです。ハイキングしながら送信所探しをするのも面白いかもしれません。

↓↓ここからはマニアックな話です。知らなくてもいい情報ですが、気になる人はお読みください。↓↓

5.歴史的な話
・AMが先に実用化され、テレビが登場するまではお茶の間の主役だった。
・FMは後発で、登場時からAMとの差別化が図られてきた。

 日本では関東大震災においてデマが流布したことを教訓に、タイムリーに正確な情報を伝える目的で1925年にラジオ放送(AM)が始まりました。当時は現在の日本放送協会のみで、民間放送は戦後の1951年にようやく始まりました。その直後にテレビ放送が始まり、以降ラジオはお茶の間のメジャーなメディアから、個人が楽しむマイナーなメディアの道を歩むことになります。
 FM放送は実用化が比較的最近で、AMラジオが既に浸透していたことと専用のチューナーが必要なことで普及には時間を要するかに思えました。1957年にNHKのFM放送が開始。1960年に東海大学が教育放送を開始し、本格的な民間放送は1970年に東名阪福の4都市圏限定で始まりました。その後FMが急速に普及した要因としては、音質をフルに生かした番組編成が挙げられます。音楽番組を中心に編成し、フルコーラスで放送する、事前にオンエア曲を宣言する、などの工夫でラジオから音楽を録音する「エアチェック」が行われるようになったことで需要を生んだものと考えられます。

6.技術的な話
・AMを日本語で言うと、中波。振幅変調。
・FMを日本語で言うと、超短波。周波数変調

 ここは私も説明できません(文系なので)。上記のキーワードで検索するとわかりやすく解説したページが出てくると思いますので、興味のある人は検索してみてください。

ダイスケつれづれ 第2回「君の名は?」

夫婦別姓について書こうかと思う。ちょっと時機を逸した感はいなめないが、この話題について語るにあたって、僕ほどの適任者はいないであろう。これをみすみす逃す手はない。

12月16日、最高裁は夫婦がどちらか一方の姓を選択しなければならない現状を合憲と判断した。

http://mainichi.jp/articles/20151229/ddm/005/070/051000c

さてさて、そもそも夫婦別姓とはなんぞや。現在の民法では、結婚した夫婦はどちらか一方の姓に揃えなければならない。これを別々にできるようにしようというのが夫婦別姓の議論だ。その議論は実は結構古いそうで、1976年の内閣府の世論調査ではじめて夫婦別姓についての設問があるそうだ。しかしながら、この議論が活発になってきたのは90年代に入ってからだ。男女共同参画社会を目指す一環として、この議論があるらしい。1996年には法制審議会が選択的夫婦別氏制度を含む「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申している。

法務省:選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について

が、それから19年を経た今現在も夫婦別姓は導入されていない。

さて、冒頭で僕はこの話題を語る適任者を自任していたが、それはなぜなのか。

まず第一に、僕は結婚して姓が変わった。96%の夫婦は男性側の姓を選択しているそうだから、僕はかなりの少数者ということになる。

第二に、僕の両親はそれぞれ異なる姓だった。もちろん、別姓は法的に認められていないから、つまりは二人は婚姻関係になかったとういことだ。それはそもそもの始まりからそうだったのだろうと思うし、少なくとも僕の物心のつく頃にはそうだった。なぜ両親がそうした選択をしたのか僕は知らない。

しかしながら、僕の育ったその家庭は、別段他の家庭と変わらなかったように思う。父がいて、母がいて、僕と弟がいる。実にありきたりな家庭だ。もちろん、僕は他の家庭で少年時代を過ごしたことがないので、比較はできないわけだけれど、他の家族を外側から眺めている感じとして、それは変わらないか、たいして変わらないものに思えた。おそらく、僕ら家族を他の「ちゃんとした」家族たちと混ぜ合わせてみても、そこから僕ら家族を見分けられる人はいなかったに違いない。

ただ、不便がまるでなかったかというと、そうもいかない。たとえば電話に出るとき。当時は固定電話しかなかったから、電話がかかってきた際がちょっと厄介だ。

「はい、○○です」

「あれ、××さんのお宅ではありませんか?」

僕は母親の姓だったから、父あての電話がかかってきたときにこんなことになった。だから、

「もしもし」

とだけ言って、あとは向こう側にゆだねるようになった。これですべては解決だ。

はっきり言って、両親の姓が違う程度で家族は揺らがない。姓がどうであろうと、父は父であり、母は母だ。それはそうした制度云々よりも肌の感覚としての認識だ。「血」なんて言葉は使いたくない。遺伝子や、姓や、血なんかよりも根源的な何かが親子を、家族を形作る、そんな気が僕はしている。

そんな家庭で育ったためか、僕は自分の姓に対する執着が薄かったように思う。だから、僕が結婚するに際して、僕は妻の方の姓を名乗るのに何のためらいもなかった。正直なところ、それは僕にとってどうでもいいことだったからだ。それが変わろうがなくなろうが、どうってことはない。心の底からそう思う。生まれてからずっと名乗っていた姓を変えたところで、僕のアイデンティティは揺らがないし、家族の中で異なる姓を持っていたとしても別にそれが破たんするということもない。

ちなみに、僕の家族、父、弟、僕は、僕の結婚による姓の変更で三人とも違う苗字を名乗っている。

しかしながら、僕にとってどうでもいいことが誰にとってもどうでもいいことであるはずがない。それによって精神的苦痛を感じる人もいるだろう。アイデンティティが揺らいでしまう人もいるかもしれない。

もしそういう人がいるのなら、彼らの望む選択のできる世の中にするのが望ましいのは言うまでもないように思う。が、現実はそうではないのだ。それに反対する人たちがいるのだ。これが僕には理解できない。他人がどのような選択をしようが、極端な言い方をすればそれは当人たちの勝手であって、そこに外野からとやかく言うのは間違っている、という考え方はおかしいだろうか。

まあ、おかしいと思う人がいるんだろうな。よくわからんけど、よくわからんものをよくわからんと切り捨てるという態度は結局のところ他者の苦痛に対して鈍感になることに繋がっていくのに違いない。

というわけで、僕にできるのは僕の実体験から、僕の感じたことを真摯に伝えることだけだ。夫婦別姓を恐れている人たちへ一言、それで家族が瓦解することはない、と僕は思う。それで瓦解する程度なら、その程度のもののわけだし、「ちゃんとした」婚姻関係の家族であっても崩壊するときは崩壊する。それよりも、他人の苦痛に耳を傾ける、優しい世界を作りませんか?

少なくとも、僕は妻の姓で呼ばれて頬を赤らめたことはない。これを女性だけの問題だと考えるとういこともひどい話だ。

中学国語教科書を読む―その2― シュウ

平成24年度版中学校国語教科書『中学生の国語』|三省堂「ことばと学びの宇宙」

 

 テレビやゲームをさしおいてまず何よりも国語の宿題をするという中学一年生などほとんど居ないだろうから、この年末も差し迫った日に真剣に国語の教科書を読んでいるのは僕だけということになる。そもそも国語の宿題は漢字練習か読書感想文が関の山で、文章をきちんと読むという宿題はほとんどない。ネットの感想文やあとがき、解説を参考に作文をでっちあげるよりきちんと文章を読んでもらう方がよほど有益なはずだが、そうしてもらうのはなかなか難しい。だから
彼らの代わりに僕が教科書を読み、彼らの代わりにつらつらと作文をでっちあげよう。

 前回の「その1」では詩だったが、それに引き続いて「伝統的な言語文化」として和歌が取り扱われている。和歌は春の歌が三首。持統天皇の「春過ぎて 夏来たるらし白たへの 衣干したり 天の香具山」、紀貫之の「人はいさ 心も知らず ふるさとは花ぞ昔の 香ににほひける」、在原業平の「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」である。どれも百人一首に収録されている定番の歌だが、それにしても天皇の詠んだ歌が教科書に収録されていること、人口に膾炙していることにはもっと注目が集まっていいんじゃないだろうか。調べたわけではないが、皇帝や国王の詩や小説、論説が教科書に載っている国は珍しい気がする。このこと自体、日本における天皇天皇制というものの歴史的位置付けを浮かび上がらせる一つの素材といえるだろう。こうした関連でいえば、特に優れているというわけではないけれども、谷知子の『天皇たちの和歌』という本が存在する。

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 僕の記憶では、持統天皇のこの歌は「夏来たるらし」ではなく「夏来にけらし」であり、「衣ほしたり」ではなく「衣ほすてふ」だった。調べてみると、この教科書に収録されているのは万葉集に基づくものであり、僕の記憶の歌は新古今和歌集に基づくものらしい。

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また、それによって「アマノカグヤマ」か「アメノカグヤマ」で読み方が異なるという説もあるようだ。こうしたテクストの違いは意味にも当然響いてくるはずで、なにしろ「ほすてふ」だと伝聞のニュアンスが伴う。来にけらし、という表現も専門的にはきっと違った意味を帯びるのだろう。
香具山は奈良県橿原市にある山で、標高は151m。意外と低いとも思うが、富士山みたいな高い山に衣を干すなんて大変だから、そんなもんか。

 なぜ歌自体が変わってしまったのか。一説によると、万葉集は全て万葉仮名で書いていたので、持統天皇の歌も「春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山」というものだったらしい。こういう万葉仮名もだんだん廃れていき、時代がくだると、読み方が複数あるようになり、変わってしまったのだという。また、この変化には極めて一般的にいえば、ますらおぶりといわれる万葉集と、たおやめぶりといわれる新古今和歌集との対比も説明としてあるかもしれない。いずれにせよこの歌には、少なくとも洗剤商品のキャッチコピーとしての価値は現代にもあるように思う。

 紀貫之の歌は素晴らしいが、人の心はともかく、梅の花の香りは変わらないという紀貫之の歌は、梅の花の香りがぱっと思い浮かばない現代ではなかなか実感しがたい。自然は昔のまま変わらない、というこうした自然観はほとんど破壊されつつある。むしろ駅前の店はすぐ変わるけど、自分の心はそんなに簡単には変わらないとでも言いたくなるほどではないか。久々にかつて滞在した町や、地元を訪れた際に「懐かしいなぁ、変わらないなぁ」と思うのは何かしらの香りと結び付けられているからか?現代において香りという感覚は不当に遠ざけられているのかもしれない。

 在原業平の和歌は、桜という植物への日本人の執着の象徴かのように扱われることがある。こうした扱いは、容易に日本人論、伝統論、日本固有の自然論といった怪しいものに回収される危険がある。先ほどの紀貫之の歌にもあったように花といえば梅を指す時代もあったわけで、安易に桜を日本とか日本人とかいう大きな主語に接続させる話を僕は信用しない。散るからこそ美しい、というスローガンで何人の命が失われたんだろうか。桜花という名の戦闘機が何に使われたのか、中島貞夫の「ああ同期の桜」がどういう映画かを思い出す。「桜はきれいだけど、すぐに散ってしまうからそのたびに心を痛めることになります。だから最初から桜そのものがなければこの悲しい気持ちにはならなくてすむのになぁ、という意味です。」というような教科書的説明から「桜は散るからこそ美しい」という日本浪漫主義的言葉遊びまではほんの一歩である。「桜は日本人が伝統的に大好きな花で」が付け加われば「武士である日本人らしく散り際は美しく死のう」もどんどん近づいてくる。

 そういう桜の使われ方に比べれば、誰も桜それ自体に価値を見出していない、飲む口実としてだけの花見のほうがよっぽど健全だ。そしてその幹事やら、実は参加したくないメンバーが「あー桜さえなければこの花見もなかったのになー」と愚痴を言っている歌だと考えたほうがよっぽど健全な解釈ではあるまいか。実際、在原業平も花見の際に酒を飲みながら和歌を詠まなければならないという席でこの歌を詠んだらしい。ただ、この解釈に問題点があるとすれば、中学一年生に花見の席でのしがらみを想像させることは難しいということである。

シネマディクトSの冒険 ~シュウの映画時評・第二回「マイ・ファニー・レディ」~

ピーター・ボグダノヴィッチ「マイ・ファニー・レディ」(アメリカン・ビスタ、93分)

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 あの「ペーパー・ムーン」を撮ったボグダノヴィッチの13年ぶりの新作、しかもコメディであるというだけで映画館に駆けつけなくてはならない十分な一つの理由になる。それに加えて、1939年生まれのこの監督が、フレッド・アステアマリリン・モンローオードリー・ヘップバーンハンフリー・ボガードローレン・バコールといった、いささかこちらが恥かしくなるような往年のスターとモノクロ時代のハリウッド映画を追想し、それに対する憧憬を隠そうとはしないどころか、胸を張って再現しようとし、現代的なかたちでそれに成功していることは感動的ですらあり、その意味でこの邦題は原題を上回っている稀有な例である。この作品が下敷きにしている最も重要な作品は劇中で明かされるから、ここでは伏せておくことにしよう。しかし、そもそもこの映画そのものがオマージュだという偉大さを忘れてはならない。

 

 ところで先ほど現代的な成功といったが、現代的とは、プロデューサーに名を連ねているウェス・アンダーソンとノア・パームバックの影響が見られるという意味である。主演の売れっ子舞台演出家はウェス・アンダーソン作品常連のオーウェン・ウィルソンであり、いつものことながら宇宙人のような、別世界の住人のような、という意味での非人間的なユーモアと、諦観を含んだ気の良さを発揮している。この演出家はことあるごとにコール・ガールを呼んで「クルミをリスにあげることが喜びである人がいるなら、リスをクルミにあげて喜ぶ人が居たっていい」というようなエピソードを殺し文句に、その女性に3万ドルほどの大金を寄付してコール・ガールをやめさせるという趣味を持っている。彼は全国を飛び回って同じことをしているが、彼には妻がいるから、このことが全てのドタバタ劇の根源となるのだが、この古臭さとバカバカしさは素晴らしい脚本だと言うほかない。

 

 本作でそのコール・ガールを演じるのがイモージェン・プーツで、カーアクション映画の傑作「ニード・フォー・スピード」でも抜群の存在感を放っていたことが記憶に新しい。本作はコール・ガールから女優になった彼女がインタビューを受け、それによって回想形式で物語が展開するというかたちとなっており、さらにこの脚本の構造上、少なくとも5パターンの明らかな演じ分けを必要とするのだが、それを見事にこなすのは彼女の表情の豊かさである。シニストのインタビュアーに「あなたはコール・ガールだったんですね?」と詰め寄られても、言葉の本来の意味で確信犯的に「私はミューズでした」と自信満々に答え、オードリー・ヘップバーンの言葉をモットーにしていると引用するイモージェン・プーツはまさしく古典的ミューズであった。

 

 劇中に、銃は何も生み出さないが、拳は何かを生み出す、というようなセリフがあった。この映画には平手打ちやグーパンチが様々に出てくるが、極めて分かりやすい人間関係の変化を表すと同時に、確かに何かが生み出されている。それは例えば動きであり、笑いである。だが何よりも注目すべきなのは、この映画に出てくるパンチは、ウェス・アンダーソングランド・ブダペスト・ホテル」に出てくるパンチ、あの三回連続のパンチに他ならないということだ。抽象的にいえば、ウェス・アンダーソン映画におけるファンタジー性を取り込み、映画そのものの魅力、ファンタジーとして現実を再構成しているといえる。

 

 ブロードウェイを中心としたコメディということで、全体的に近いのはウディ・アレンの傑作「ブロードウェイと銃弾」であるが、この映画はウディアレンほどシニカルではないし、何よりも銃弾は出てこない点が異なる。この映画のように、人間関係や状況がどこまで破綻してめちゃくちゃにになったとしても楽観的でハッピーエンドしかみえない。それこそがハリウッドの古典コメディ映画としてのスクリューボール・コメディの条件であるかもしれない。その意味では、フレッド・アステアジンジャー・ロジャースが「トップ・ハット」で優雅に踊った名曲Cheek to cheekが流れるオープニングでの字幕による説明と、そこから始まるインタビューの冒頭部分、イモージェン・プーツが前置きとして何を述べるかということがこの映画の本質を構成している。決して見逃すなかれ。このオープニングに比べたら、エンディングなどどうでもよろしい(勿論あれはあれで笑ってしまうのであるが)。

 

 一部の人間に推薦することができるSFシリーズ最新7作目の136分よりも、この93分を万人に推薦しなければならない。それが、この「マイ・ファニー・レディ」が擁護しようとする「映画」を擁護することである。

中学国語教科書を読む―その1― シュウ

平成24年度版中学校国語教科書『中学生の国語』|三省堂「ことばと学びの宇宙」

 

 小学校、中学校、高校と、必ず全教科について教科書があったけど、あまり丹念に読んだ記憶はない。ページを飛ばしたり、先生オリジナルのプリントを使ったりして、身近でありながら実はほとんど読んだことがないという場合が多いんじゃないだろうか。勿論科目によって差はあるんだろうけど。例えば算数や数学はほとんど教科書は使わないだろうし、国語や英語はかなり使う頻度が高かったように思う。

 個人的な、しかも平凡な経験を語れば、僕がその質においても量においても最も読んだのは国語の教科書だった。これは国語が好きだったからというよりも、授業中暇でどうしようもなかったからだ。国語の授業がなぜあれほどつまらなく感じたのか。早熟だったんだろうか。内容なんて一読して全部わかっていると思い込んでいて、それを露骨に態度に出していたので、先生からするとかなり嫌な生徒だったように思うけど、子どもに対して大人げないと怒ることはできないから、あまり反省する気はない。そんな小学生の頃から本を読むのは好きだったので、こっそりと自分の本を読んでいることも多かったが、国語の教科書であれば堂々と文章を読んでいられるから、かなり読んだと思う。だから小学校や中学校の国語の教科書(たしか光村か東京書籍だったと思う)に載っていた文章はたいてい覚えている。

 そんな国語教科書への偏愛から、他の会社の教科書も読んでみたい、今読んだら何を思うのだろう、と気になってきたので、とりあえず一番安い三省堂のものを買ってみた。本当は出版社によってテクストの質が全然違うので迷ったが、まぁそんなに肩肘張ったものでもない。小学校から読み直すのはちょっとしんどいので、中学一年生から。教科書はどんな科目でも大体500~900円で、この三省堂は全て500円くらいだ。2016年から教科書が改訂されるので、2016年のものと読み比べたい気もするけど、とりあえず2015年現在流通しているものを読んでみたい。1ページも飛ばすことなく、適当に思ったことを書き散らしてみる。

 三省堂の教科書は、けっこう大きい。A4くらいか。高校生になると軒並み教科書が小さくなり、字も小さくなるので、教科書としては大きく感じられる。文字が大きいので読みやすくていい。表紙に大きな木の写真がある。屋久杉だろうか。最初の単元は「伝統的な言語文化 言語文化にふれる」ということになっている。中学一年生の国語、最初のテクストは、草野心平の詩「春のうた」だ。こういうテクストの選定はどうやって行われるんだろう。今度石原千秋に聞いてみようか。

 草野心平は1903年福島県出身の詩人で、兄も弟も詩人らしい(Wikipediaは本当に便利だ)。草野心平について僕が知っていることといえば、カエルをモチーフに詩を書くのが大好きだったということくらい。この「春のうた」もかえるの詩である。詩の全部は載せることができないが(でもネットで検索すればすぐに見つかる)、さすがに中1が最初に読むからか、短くわかりやすい言葉で綴られている。光村の小学4年生の教科書にも載っているそうだから、まぁことばの難易度としてはそれくらいなんだろう。かえるが冬眠を終え、土から出てきた日に春が到来したことを実感するというような詩だと思うが、一行一行に句点「。」がついていて、これはなぜなのか不思議に思う。詩ってそんなに句点をつけるんだろうか。「ほっ まぶしいな。ほっ うれしいな」とのどかに始まる。「ケルルン クック。」というカエルの鳴き声の表現は不思議だ。カエルの鳴き声は擬音語にするのが難しい。「ケルルン クック」でないことだけは確かな気がするが、かといって他に思いつく気もしない。草野心平ならもっと前衛的なものが他にあるし、これは特にいい詩であるようには僕には思えないが、こういう自然を感じさせるものは選びやすいのだろう。そう考えると若干中学一年生がナメられているようにも思える。だって他の教科書だと小4が読むことになってるんだし。詩は学校の授業では扱いにくいので、まとまりを「連」と呼ぶとか散文詩とか定型詩といったような形式的なことがらが多かったように記憶している。

 そのすぐ隣には高野辰之の詩「朧月夜」がある。こちらは東京帝大を出て文部省に勤め、東京音楽学校で教鞭をとった国文学者で、明治から大正の人だ。この経歴からも察せられるが、彼は作詞で非常に有名で、うーさーぎおーいしかーのやーまーの「ふるさと」や、この「朧月夜」、「春が来た」といった曲の作詞を手がけている。どの歌も超有名だが、この朧月夜といい、どれも役人的で、いかにも堅い。確かにことばの美しさや端正さのような形式性に優れているけど、この詞に出てくる菜の花畠やら里わの火影(そもそも「里わ」という言葉はもう使わないだろう)なんて現代の中1が分かるんだろうか、と現代の20代は思ってしまう。きっと「蛙のなくね」というフレーズが出てくるから、草野心平のかえるの詩と並べたのだと確信しているのだけど、それは安易過ぎるだろうか。「ふるさと」のような歌もそうだけど、明治時代の長野県で生まれ育った高野辰之が歌った故郷や朧月夜を体験し、実感する人はほんの一握りになっているはずで、そう思うと草野心平の「春のうた」が急にみずみずしく、生き生きとしたものに見えてくるので不思議だ。逆にいえば文部省唱歌のこの詞をここに置く意味はなんなんだろう。「言語文化にふれる」という単元全体の位置づけからすると、この詞は明治時代担当といった感じだと思うが、もうちょっと良いテクストはなかったかね。歌を連想させることでイメージがつけやすいというのがあるかも知れないが、いまの小学生は朧月夜なんて聞かないだろう。なにせ僕も特に聞いた記憶がない。

 そういえば教科書の詩といって思い出すのはまず第一に金子みすず「私と小鳥と鈴と」で、あれは小3だったように思う。あのレベルの詩を載せてくれればいいのに。最後にそんなことを思った。

ダイスケつれづれ 第1回「だいたいのネタはインターFM、最近は」

さてさて、なんだか真面目くさって映画の話ばかり書いていても飽きるので違う話。

「シネマ三銃士Z」では毎回1曲音楽を取り上げます。ポッドキャスト版では諸々の問題があるためにそれを流すことはできませんが・・・。

この1曲、映画で使われた楽曲をかける場合もあれば、そうでない場合もあります。そうでない場合はどういう場合かというと、その回で取り上げた映画にめぼしい楽曲が無かった、というような場合です。ドキュメンタリー映画なんかを取り上げた場合、そういう事態に陥るケースがままあります。これまで、そういう場合には、その映画のタイトルなんかからこじつけで1曲決めていたことが多かったのですが、最近では居直って完全に関係のない、かけたいものをかけることが増えてきました。番組の構成上それでいいのか、という問題はありますが、でもかけたい曲があるんですもの。

とはいえ、「ぼくの」かけたい曲が自由にかけられるかといえば、そういうわけにもいきません。番組にはぼく以外のメンバーもいるわけで、その合議で最終決定がなされます。まあ、一応。

で、ここでちょっとぼくの好きな曲を紹介しようかと思うのです。ここでなら自由ですから。もしかしたら、いずれラジオで取り上げるかもしれないし、取り上げないかもしれませんが。

 

以前、ぼくの音楽的な嗜好に多大な影響を与えていたのは、MTVであり、スペースシャワーTVでした。まあ、単純な話で、そのころぼくは実家暮らしで、実家では(贅沢なことに)そうしたチャンネルの見られる環境があったのです。だいたいぼくの高校生くらいの頃から10年間くらい、ぼくはこれらのチャンネルから音楽の情報を得ていました。

そのころ好きだったのは、キリンジとか。高校生のころ、たまたま目にした「牡牛座ラプソディー」に一発でやられました。この歌詞、すごくないですか?訳が分かんない。でもそこがよかった。「エイリアンズ」や「drifter」なんかは直球な感じはしますが、やっぱり歌詞が面白いですよね。もちろん曲も最高でしょ。

東京60ワッツTHE COLLECTORSgroup_inouスパルタローカルズハスキングビークラムボンMatisyahuなんかは完全に上述のチャンネルで出会いました。なんだかんだいまだに聴くといい曲だなあ、と思うのです。たぶん思い出補正抜きにいい曲ばかりだと思うんだけれどどうだろう?

さて、いま、ぼくは実家から出てしまったので、これまで享受していた贅沢からも出て行かなければならなくなりました。数ある不安の中の一つが「音楽チャンネルが見られなくなったら、新しく出てくる面白い音楽を聴き逃してしまうのではないか」ということでした。

実際、当初はまるで音楽を聴かなくなりました。20代前半のころには、「おじさんになっても新しい音楽をちゃんと知ってるかっこいいおじさんになりたい」と思っていたにもかかわらず。「へー、最近の若い子ってそういうの聴くんだ。いやでもさ、おれの若い頃聴いてた音楽の方が最高でしょ」みたいになりそうな感じでした。

そこでぼくに救いの手を差し伸べたのがラジオだったのです。

 というか、それまでぼくは自分がラジオで話していながら、ラジオをほとんど聴いていませんでした。だって、ラジオってあんまり聴かなくありません?

そんなぼくがラジオを聴くようになったのは、これも環境の変化が影響していて、自動車を運転する機会が増えたことにあります。まあ、言ってしまえば仕事で車を運転するようになったってことです。しかも、CDプレーヤーなんかついていなくて、ラジオしかないような車です。でも、無音のまま何時間も運転するのは結構苦痛です。そこで、しぶしぶラジオを聴くようになったのです。(しぶしぶ?)

最初、聴き始めたのは文化放送でした。確か吉田照美さんの番組です。で、それをきっかけに文化放送リスナーになりました。

朝、「おはよう寺ちゃん 活動中」から始まり「福井謙二 グッモニ」「くにまるジャパン」「大竹まこと ゴールデンラジオ!」と聴きます。まあ、どの番組も好きですけど、「福井謙二 グッモニ」の福井さんと水谷さんのちょっとゆるい感じが好きだったりします。

ぼくの一日のラジオを聴くスケジュールはこんな感じです。そして、その後なんですが、そのまま文化放送を聴いていれば、ぼくを文化放送に導いた吉田照美の「飛べ!サルバドール」なんですが、ぼくはそこでinter FMに浮気をするようになってしまいました。それがどんなきっかけだったのかは覚えていません。まあ、だいたいのものごとはそんなものでしょう。

inter FMでその時間放送しているのが「Ready Steady George!!」です。ジョージ・ウィリアムスとシャウラの二人でやっているこの番組がぼくのお気に入りであり、音楽情報のすべてです。ジョージはぼくがそれまで見ていた音楽専門チャンネルにも出ていたりして、とりあえずなじみはありました。たぶんそこらへんがその番組を聴くようになった要因の一つでしょう。

で、ぼくが最近聴く音楽はだいたいこの番組で聴いたものです。具体的に挙げると、ceroROTH BART BARONYogee New Wavesykikibeatなどなど。ykikibeatはCMで楽曲が使われていました。情報源が一つだと偏りが出てきそうでそれはそれで不安もありますが、全然ないよりはいいですな。

 さて、最近になってラジオを聴くようになったぼくなのですが、聴いてみるとすごく面白いんですよ、これが。なんというか、ラジオにはラジオにしかない距離感があるように思います。ほかのメディアにはない、送り手と受け手の親密な距離感が。これがどういった要因で発生しているのかはわかりません。あくまでぼくの感じていることであり、ぼくだけが感じていることなのかもしれませんし。

人間は外界の情報の80%を目から得ているといわれます。事実、ぼくたちは日常生活の多くの部分を目に頼っており、もしもそれが急に失われてしまったら大変な不便を感じるでしょう。ラジオではこの視覚情報というものが届けられません。あるのは聴覚だけです。

Video Killed The Radio Star(邦題:ラジオスターの悲劇)なんて曲があります。この曲ではラジオスターが映像に殺されるということを歌っています。映像の衝撃とはおそらく凄まじいものだったのです。この曲のビデオクリップは、MTVで最初に放送されたビデオクリップです。この曲の主題自体はラジオの時代、つまり過去へのノスタルジーであるにも関わらず、MTVという映像の時代の幕開けを飾ることになったのです。

MTVが開設された1981年以降、音楽と映像は切っても切れないものになっていきます。マイケル・ジャクソンはその流れに乗った代表格でしょう。彼は積極的、意欲的にミュージックビデオを作りました。もちろん、彼にはそれを可能にするダンスパフォーマンスの能力があったというのは一つの前提条件だったのでしょうけど。

そして、ミュージックビデオはそれ自体が作品になりました。

まあ、これはこれで面白いのでいいことなんでしょう。否定することはありません。

しかしながら、ビデオはラジオを殺したでしょうか?もしかしたら、一時的にはそうだったのかもしれません。息の根を止める寸前までいったのかもしれません。でも、ラジオは死ななかった。ぼくはそう思います。むしろ、今はラジオにとってとてもいい時代なのだと思います。

たぶんなんですけど、情報技術の進展はラジオというメディアと親和性の高いものだったのではないかと思うんです。

この話、まだぼくの中で煮詰まっていないので今回はこのあたりまで。

続きがあるかどうかはわからないけれど、次回をお楽しみに!

「レザボア・ドッグス」のフォーカスについて

下の文章は2011年5月12日に放送されたシネマ三銃士「レザボア・ドッグス」の回で掲載されたものです。FM小金井ポッドキャストは近々閉鎖予定で、そうなるとそこに掲載された文章も消えてしまいます。なんだかそれももったいないので、ちょっとずつこちらに載せていこうかと、そう思うわけです。

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まず最初に断っておかなきゃならないのは、ボクは撮影技術について専門的な知識なんてまるで無くて、まあ趣味として一眼レフで写真を撮るくらいだってこと。だから、映画の撮影で使用される機材やら技術については完全な門外漢。そんな具合なので、これから書かれることには、ボクの勘違いや間違いがあるかもしれない。その点を留意して読んでいただけたら幸いです。

 で、ボクが気に病むわけのわかんない発言ってのは何かって言うと「パン・フォーカス」云々のくだりです。この「パン・フォーカス」という言葉、シュウに後で指摘されて知ったのですが、これは和製英語らしく、ちゃんとした英語だと「ディープ・フォーカス」というそうです。「パン・フォーカス」「ディープ・フォーカス」って何のことかというと、被写界深度にかかわることなんです。カメラで何かを撮影したときに、撮ろうと思っていた対象がぼやけて写ってしまったこととかありませんか?いわゆる「ピンボケ」「ピントが合ってない」ってやつ。
 被写界深度という耳慣れないこの言葉、これはピントの合う幅、奥行きのことです。カメラには「絞り」なるものがありまして、これを開くと被写界深度は浅く、つまりピントの合う幅が狭く、閉じると深く、つまりピントの合う幅が広くなります。絞りが開放に近いと、手前か奥かピントを合わせる被写体を選ぶことになるわけです。
 「パン・フォーカス」「ディープ・フォーカス」って言うのは、被写界深度を深くして、画面の手前から奥のほうまでピントを合わせることを言います。フォーカスについての原理等は下記サイトが参考になると思います。

フォーカス(フィルムロジック)

いやぁ、勉強になりますね、このサイト。ラジオで喋った後で見つけたのですが、このサイトの「レザボア・ドッグス」について取り上げられているシーンが、ラジオでボクがまさに言いたかった箇所です。この画像だとわかりづらいかもしれないけど、この画面、左右でピントの合っている距離が違うんです。画面右側は手前の人物にピントが合っていて、奥のほうがぼやけてます。で、画面左側の人物、この人画面右側でぼやけているあたりにいるのですが、ピントが合ってる。だからよく見ると真ん中のあたりが不自然な感じ。で、「レザボア・ドッグス」を最初に観たボクは思ったのです。
 「なんでこんな不自然な感じの画面にしたのだろう?手前の人物と奥の人物両方にピントを合わせたいのならパン・フォーカスにしてしまえばいいのに。ひょっとして、経済的な理由か何かでそれができなかったのかな?」と。まあ、ボクはズブの素人なわけで、まさに素人考えなのですが・・・。

 前記のサイトによると、どうやら焦点を別々に撮るテクニックがあるみたいですね。勉強になりました。普段何気なく観ている映画ですが、製作者の様々な工夫や技術が込められているということを改めて感じました。今後はそんな面にも注意して映画を観ていこうと思ったダイスケでした。では、またね。