ブログ三銃士

このブログは、FM府中で絶賛放送中の番組、「シネマ三銃士Z」を母体とするブログです。放送では収まりきらない思いの丈のほか、ラジオで放送したものとは関係ない本のことや音楽のことetcを綴っていきます。FM府中ポッドキャストもよろしくね!http://fmfuchu.seesaa.net/

シネマディクトSの冒険 ~シュウの映画時評・第四回「ザ・ウォーク」~

 前回の「ブリッジ・オブ・スパイ」評において、私が一本の糸が両端から引っ張られることをサスペンス性の比喩として用いたとき、そうした選択を無意識に決定していたのはこの映画だったのかもしれない。というのもまさにこの映画こそ、110階建て、地上417メートル、双子のワールド・トレード・センターの両端をむすぶ一本のワイヤーによって「緊張」を、そして弛緩を体現しているからである。

 

 稀代の曲芸師、綱渡り師であったフランス人、フィリップ・プティは、偶然アメリカで建設中の二棟の高層ビルの広告を見たことからその間を命綱なしで綱渡りしたいという信じがたい願望に取りつかれ、フランスからニューヨークへ移り幾人かの「共犯者」たちと共に完成間近のワールド・トレード・センターへと潜入する。この狂気は全員に感染しているのだが、この映画はそんなことを微塵も感じさせずに極めて爽やかに描かれる。これだけで彼の破格は分かるだろうが、このフィリップ・プティの綱渡りを実際の映像も交えて再現したドキュメンタリー「マン・オン・ワイヤー」を観ると、どうやらこの映画で描かれているよりも彼は常軌を逸していたとしか思われない。この映画で流暢なフランス語とフランス語訛りの英語を操るジョゼフ・ゴードン・レヴィットのほうがよほど常識的な人間にみえるほどだ。そういうわけでこの傑作ドキュメンタリーもぜひご覧あれ。

 

 

マン・オン・ワイヤー スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

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 二棟のビルに渡されたワイヤーは、当然のことながらだらしなく垂れさがっている。これをしっかり張らなければ、仮にうまく綱渡りができたとしても、重みや支えの弱さでワイヤーが切れてしまう可能性がある。劇中でも何度も強調されるように、ワイヤーを張ることが絶対に必要な前提なのであって、そのためにパパ・ルディから教えを請わなければならなかったのである。そういうわけで、この映画の真のサスペンスとは、ワイヤーを緊張させることに存在する。綱渡りとはそのように緊張させられたワイヤーの跡を一歩一歩なぞり、たどっていくことに他ならない。確かに我々はそこに緊張を覚えるけれども、それは彼が落ちるかもしれないというおそれからではない。この映画は回想という構造をとっているから、プティが落下したはずはないのである。そこでの緊張は、綱渡りそれ自体というよりは、想像しがたい高所に張られたワイヤーと、それを想像どころか現前するものとして映像化したことにある。こうした一本のワイヤーのイメージは、監督ロバート・ゼメキスにとっておなじみのものである。たとえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」においては過去、現在、未来が一本の線でつながっていることを、デロリアンの一直線の爆走でなぞっていたのである。

 

 

 

 

 とはいえ、出来としてはとりたてて大絶賛するほどでもないとも思われるこの映画に言及せざるをえないのはこうしたサスペンス性を評価するからだけではない。それは3Dという新たな技術を実写映画に見事に結実させているからである。2016年1月は、日本においてスティーブン・スピルバーグロン・ハワード、そしてこのロバート・ゼメキスという現在のハリウッド映画を代表する3人の監督作が連続して公開されたという点で、クリント・イーストウッド、ジャン・リュック・ゴダールフレデリック・ワイズマンという同じ年の3人の新作が公開された2015年に勝るとも劣らず興味深い。しかし、スピルバーグは自身の監督作としては3Dを傑作アニメ「タンタンの冒険」でしか使っていない。そしてロン・ハワード「白鯨との闘い」での初3Dは、その見え透いた「3D用」演出といい、CG丸出しの航海シーンといい、技術的な点でいえば不満が残る結果となった。

 

 

 

 

 これらに比較してこの「ザ・ウォーク」での3Dは、この技術を使うに値する演出、映像となっている。あえての3D演出は極力おさえられ、ワイヤーシーンに全精力が注入されていることがはっきりとわかる。ビルの屋上からカメラが身を乗り出し、地上を収めるシーンなど、とりたてて高所恐怖症というわけでもないが高所が得意なわけでもない私にとっては肝を冷やすばかりだった。それだけにこの無謀な計画の共犯者の一人が高所恐怖症であるということの面白さも際立つというものだ。

 

 さらにこの映画が重要であるのは、ワールド・トレード・センターを描いているからである。冒頭、ジョゼフ・ゴードン・レヴィットの、そして自由の女神の(アメリカ!ニューヨーク!)肩越しに二棟のビルがそびえ立っている。このビルが映画の舞台であるから、それ自体は別段不思議ではない。彼が綱渡りをした当時には、もちろんまさにそのビルは存在したにきまっている。しかし、この映画が回想であることを忘れてはいけない。彼がこの物語を語っているのが一体いつのことなのかは判然としない。仮に主人公がいま語っている時間が2001年9月11日以降だとしたら。ラストシーンで再び主人公は自由の女神に乗りながら後ろを見るが、このときにわれわれが覚えざるをえない懸念がこれである。このときに双子のビルが存在しているかどうか。次のショットでは何もない虚空が映し出されているかもしれないという思いに駆られるのであり、しかもこの思いは決して根拠のない空想ではなく、現実に起こったことを反映しているのである。その意味でゴジラがビルを踏みつぶしたり、アクション映画でドームを破壊することとは全く異なる。このような考えは、いわばポスト9.11の時代に生まれた表象がその内に必然的に抱え込まざるをえない異物のようなものである。これは映画に限らない。最近読んだ例では、リチャード・パワーズ『エコーメイカー』で、登場人物のアルフレッド・ウェーバーはニューヨークを歩くときの影のさしかたが変わってしまったと感じているけれども、小説全体にもポスト9.11の影が色濃く反映されている。

 

 

エコー・メイカー

エコー・メイカー

 

 

 

 ラストシーンでもビルは存在している。しかしその瞬間にわれわれは、その必然性など無いのにもかかわらず、この映画のフィクション性を自覚するのであり、その裏返しとしてこの映画の現実性をも理解するのである。

 

中学国語教科書を読む―その4―

平成24年度版中学校国語教科書『中学生の国語』|三省堂「ことばと学びの宇宙」

 

 

 第4回である。今回は「随筆」と「物語」を読む。随筆は枕草子徒然草。物語は平家物語であり、どれも全て冒頭部分が載せられている。この記事も随筆ということになるのだろうが、日本で随筆とかエッセイという言葉は「試みること」を原義とする英語やフランス語のエッセイとはどうも違うものに聞こえる。欧米のエッセイの代表格というか、そのジャンルをその本の名前とともに有名したのはモンテーニュの『エセー』だが、この冒頭には、私自身を題材とするのがこの本である、というようなことが書いてある。「枕草子」もまた清少納言が彼女の思った趣のあるものやないものをひたすら書き連ねていくというイメージがあるが、そういう意味では似たようなものなのかもしれない。ただ読んでみるとその差は歴然としているようにも思うが、エセーも枕草子も部分部分しか読んだことがないからはっきりとはいえない。超有名な加藤周一の『日本文学史序説』もこの部分(文庫でいえば上巻あたり)は読み飛ばしたから知らない。誰か読んで教えてください。 

 

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

日本文学史序説〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 

  

 枕草子が書かれたのは10世紀の末だという。知られているなかで最も古い日本の随筆である。ちなみにモンテーニュの『エセー』は1580年だ。ただ、この記事は別に枕草子研究ではないから、別に詳しく知る必要はそれほどない。この教科書に載っているのは有名な冒頭部分「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」である。春、明け方に目覚めて山をふと眺めたことは生まれてから一度もないが、美しく端整な文だと思う。あまりに端整だから、清少納言のことを「したり顔にいみじうはべりける人さばかりさかしらだち」といって、したり顔で頭がいい風にみせている、と批判した紫式部の気持ちも分からないではない。源氏物語が全く良いとは思わない僕にとって、紫式部派か清少納言派かと聞かれたら、ためらいなく清少納言派と答えるが、残念ながらそうした質問をされたことはまだない。

  

エセー 1 (岩波文庫 赤 509-1)

エセー 1 (岩波文庫 赤 509-1)

 

  

 枕草子の冒頭の美しさというか清少納言の美しい文を端整に書こうとする意気込みは、すぐ下にある徒然草「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と比較すると一層明らかになる。枕草子も、この徒然草も、冒頭部分を暗記させられたのをはっきりと覚えているし、今でも暗唱できるが、不思議なのは「あやしうこそものぐるほしけれ」の部分だ。何もすることがないから毎日硯に向かって思いつくことを書いてると「あやしうこそものぐるほしけれ」だ。物狂ほし。この教科書の現代語訳では「あきれるほど気分が高ぶってくる」とある。しかし「物狂ほし」という語感から受け取る印象は、このマイルドな意味とはだいぶ違う気がする。やはりここは「異常なほど狂おしい気持ちになる」くらいにしてほしい。「ひまだなー、とりあえず思いつくままに適当に書くか」というところからして、何かを書かなければ気がすまない種類の人間であることがわかり、僕としては親しみを覚える。この記事だって同じようなものだ。だけどこの記事を書いているからといって「異常なほど狂ほしい気持ち」になるかというと、あまりならない。もちろん本当のことを言うと、何かに取りつかれたような気分になって書くことはあるけれど、この兼行ほど徹底した狂おしさは無いと思う。その意味では、信じられないペースで信じられない量のブログを書いているアマチュアブロガーは数多いが、彼らのような人々のモデルはすでに兼行によって先取りされていたというべきだろう。生粋のエッセイスト、アマチュア・ブロガー兼行。実際彼の書く文章は面白い。多分いまのはてなダイアリーでも活躍できると思う。

 

 この二つの随筆の隣のページには「物語」として平家物語冒頭がある。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」というやつ。これも暗唱したものだ。小林秀雄平家物語論なんてとりあえずどうでもいいから、この文章のすばらしさを考えたほうがいい。このまとまりは二つにわけられて、それぞれが漢詩でいう対句のような構造になっており、全てが同じようなことを言っているのに、なんか全部かっこいいというすごい文だ。なんか馬鹿みたいな感想になってしまったが、しょうがない。

 

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

 

 祇園精舎はブッダが説法を行った寺院のことで、今もその場所は残っている(はず)。しかし、精舎というのは仏教の寺院のことだからいいとして、祇園ってなに?という素朴な疑問が沸いてきたので調べてみると、ジェータさんの園林という意味らしい。ジェータを漢字にすると祇陀となり、祇園の祇はここからきている。もちろん京都の祇園もここから取られている。京都の八坂神社を中心とする祇園信仰は、祇園精舎の守護神である牛頭天王祭神としているので、祇園という名前になったのである(というのは知らなかったので調べた)。

 

 シャラソウジュの花の色は盛者必衰のことわりをあらわすというから、どんな深遠な色なのだろうと思って見てみると、鮮やかな黄色を中心に、白いはなびらが5枚くらい周りを囲っている。かなり爽やかな感じで、どのへんが盛者必衰のことわりをあらわしているのかはよくわからない。シャラソウジュの花の色は今でも見ることができる。祇園精舎の鐘の声はもう聞くことができない。これこそ諸行無常だ。

 

海外文学バカ一代 第一回「まずは自己紹介をかねて、これまでぼくがどんな本を読んできたのか」

 

はじめに

ぼくは海外文学が好きだ。

なぜこうなったのかはわからない。

日本文学も読んではいた。漱石や太宰、鴎外、安部公房や大江も読んだ。村上春樹村上龍も読んだ。あ、筒井も読んだな。星新一も読んだ。こうしてみると、結構読んでいる。たいして読書が好きなわけではないけれど、なんとなく読んでいる。

最近の日本文学はほとんど読まない。なんだか嘘っぽい気がしてしまうからだ。なぜかはわからない。なんだか「文学」というフォーマットを念頭に書かれているような気がしているのかもしれない。その使い古されたフォーマットが使い古されてしまったゆえに嘘っぽくうつるのかもしれない。「文学」はつねに新鮮でなければならない。

そういう意味で、海外文学はぼくにとってつねに新鮮なのかもしれない。それは見知らぬ土地で起こる物語なのだ。そして、その新鮮さが嘘っぽさを消してくれているのかもしれない。

とはいえ「文学」とは本質的に嘘だ。たとえそれがノンフィクションだったとしても。だからこそ、惰性で嘘をついてはいけない。手癖で嘘をついてはいけない。どうせつくなら腹から嘘をつかなければならない。

そんなわけで、ぼくは小説となると海外のものばかり読むようになった。

で、好きなのでそれについて書こうと思う。それで理由になるのかと問われるとなんとも返答のしようがないが、好きでもないものについて書くよりははるかに道理が通っているように思う。

では、誰に向けて書くのか。それはおそらくぼくのように海外文学が好きな人に向けてなのだろう。

いや、それだけではない。ぼくの心持ちとしては、ボトルに手紙を入れて海に流すような感じだ。それをどんな人が受け取るのか、ぼくは知らない。しかしながら、それが電子の海に浮かぶ小島に住むようになったぼくらの流儀なのだ。

どうせなら、海外文学を読まない人にもこれを読んでもらいたいし、これがきっかけになって海外文学の世界に足を踏み入れてもらえたらこれほどうれしいことはないだろう。

まあでも、どんな人が受け取ってもいいのだ。そんなものだ。

ぼくはこれまでにどんな本を読んできたか

というわけで、自己紹介がてら、ぼくのこれまでに読んできた本を列挙していこうかと思う。これでぼくがどんな傾向をもった読書をしてきたのか、どんな好みをもった人間なのか、そういったことがわかるだろう。

最初に断っておくと、ぼくは外国語ができない。英語もフランス語もドイツ語もイタリア語もチェコ語も中国語もロシア語も、とにかくありとあらゆる外国語ができない。なので海外文学を読む際には翻訳されたものを読むことになる。翻訳されたものであれば、英語で書かれたものでも、フランス語で書かれたものでも、イタリア語で書かれたものでも、いかなる言語で書かれたものでも読める。なぜなら、それはぼくが唯一読める言語である日本語になっているからだ。

こうなると、翻訳家がいてくれたことを幸福に思わなければならない。

翻訳家については稿ををあらためよう。今回はぼくの好みを知ってもらうことにとどめる。

アメリカ

まずはアメリカ合衆国の作家を挙げてみよう。

とにかく大好きなのはトマス・ピンチョン。ぼくがピンチョンを知ったのは山形浩生の『新教養主義宣言』という本で、それから調べてみると、このピンチョンの書いた『重力の虹』は読めない小説として有名だという。「読めない小説」ってなんだ!ぼくの好奇心はくすぐられ、そして実際にそれを読みたいと思った。のだけれど、当時『重力の虹』は版元品切れ状態で、古本でもそこそこの値段になっていた。で、入手できた『V.』を読んだのだけど、その時はピンとこなかった。で、ちょっとたってから、新潮社から全集が出ることになった。その全集の『逆光』でぼくはピンチョンのとりこになった。「読めない小説」なんて言われているから、とても難解なことが書いてあるものだと思って構えて読んでいたものだから、ピンチョンの魅力に気付かなかったのだと思う。ぼくの感覚として、ピンチョンの小説を脳内で映像化すると「サウスパーク」の絵になる。ふざけていて、ぶっ飛んでいて、小ネタに満ちていて、それでいて皮肉が利いている。そういう見方をすると、他の小説もそのリズムがわかってきて、その魅力もわかってきた。

他にはリチャード・パワーズが好き。『舞踏会に向かう三人の農夫』や『囚人のジレンマ』『われらが歌うとき』『エコーメイカー』も面白かった。でも、なんだかちょっと突き抜けた感がないような気がしないでもない。

ミルハウザーエリクソンはちょっと苦手だ。よくできている感じはするのだけど、なんか苦手。

ポール・オースターもそんなに好きではない。それなりに読んだけど、のめりこむほどではなかった。

このあたりは柴田元幸翻訳である。

そういえば、のめりこんだのはカート・ヴォネガットだ。最初に読んだのは『タイタンの妖女』それから片っ端に読んでいった。一番好きなのは『母なる夜』かな。『スローターハウス5』も好き。早川のSF文庫に入っているが、SFとくくっていいものか。

ケリー・リンクも好き。特に『マジックフォービギナーズ』。『スペシャリストの帽子』なんかも面白い。彼女の書く短編は何とも奇妙なことが起きたりするのだけれど、それがしれっと起こるものだから混乱してくる。

ジョージ・ソーンダーズも読んだ。彼はアメリカで天才賞と名高いマッカーサー奨学金というやつをもらっている人で、シニカルな短編を書く人で嫌いじゃない。

ブライアン・エヴンソン、「新潮」に掲載された短編を読んで衝撃を受けた。とにかく不気味な世界に突き落とされる。突き落とされるというのは、突如不気味な状況が提示され、それに何の説明もないからだ。

セス・フリード、これも「新潮」に掲載されたものを読んだ。エヴンソンほどではないが、やはり気味の悪い世界。

アメリカといえば短編だ。『20世紀アメリカ短篇選』という文庫がよい。

バーナード・マラマッド、もちろんカポーティメルヴィルマーク・トウェインフィッツジェラルドあたりも読んだ。フォークナー、ホーソーンヘミングウェイは読んでいない。読もうとしたけれど、挫折した。ぼくは無理をしない主義だ。

ジョナサン・サフラン・フォアやネイサン・イングランダーも読んだな。フォアは映画化されてしまったために「文学」っぽさがないような印象になってしまうかもしれないが、彼はその「文学」に対する挑戦者だ。イングランダーはユダヤ人であることが主題に見えるが、それでもそれは誰にでも代替可能なものになっていると思う。

ここで少し迷うのが、ジュノ・ディアスやリン・ディン、ハ・ジンやサルバドール・プラセンシア、マヌエル・ゴンザレスをアメリカの作家に入れていいものかどうかだ。彼らはその活動の拠点をアメリカにおいているが、そのルーツの匂いが強く出ている。

この中だとプラセンシアがぼくはお気に入り。『紙の民』は傑作だと思う。

さて、いろいろ挙げてきたけれど、(たぶん漏れているものもある)長くなったから今回はここまで。次回はアメリカ以外の作家を挙げて行こうと思う。

それではまた。

 

中学国語教科書を読む―その3―

平成24年度版中学校国語教科書『中学生の国語』|三省堂「ことばと学びの宇宙」


 前回は和歌を三首よんだだけで終わってしまった。あまりにのろのろとしたペースだけれど、仕方がない。学生のときもなぜ国語の教科書がこんなに進まないのか、理解できなかったことを思い出す。たかだか数十ページの物語に何ヶ月も費やすなんて!

 和歌のページの隣には俳句が四句並んでいる。順番に詠んでみる。松尾芭蕉「行く春や 鳥啼き魚の 目はなみだ」、与謝蕪村「春の海 ひねもすのたりのたりかな」、小林一茶「めでたさも ちう位なり おらが春」、正岡子規「若鮎の 二手になりて 上りけり」。

 こうして和歌と俳句を順番に詠んでいくと、どうしても五・七・五のリズムが心地よく感じられてしまう。これはなぜなのだろう。リズムに合っているのだろうけれど、ちょっと音楽のことはよくわからない。松尾芭蕉の俳句をみてみると、「行く」「春」「鳥」「啼き」「魚(うお)」など、二音のものが並んでいる。それに「や」とか「の」といった一音の助詞がくっついている。こうした音節の区切りでの偶数+奇数というのが五と七という奇数が多いリズムを生み出しているのだろうか。というよりは、リズムに乗りやすいことばをつくりやすいのだろうか。そういえば漢詩も五言や七言でつくられているけれど、音節と関係あるのだろうか。わからない。いずれにせよ、俳人の選び方からしても、五・七・五から成る古典的俳句を押さえておこうとする意図がみえるのは確かだ。

 松尾芭蕉の「行く春や 鳥啼き魚の目はなみだ」はなんだか杜甫「絶句」にある「江碧鳥逾白 山青花欲然」を思い出してしまう。正岡子規の弟子である高浜虚子が「花鳥諷詠」というようなことを言ったが、まさにそれにあたるのだろう、きっと。でも五・七・五のリズムを考えると、どうしてもそれぞれの部分で意味を完結させてしまいたくなるのだが、「鳥啼き魚の」の部分でどうしても意味が途切れてしまう。しかもこの七音の部分で鳥と魚が二つも出てきて、なんだか気持ち悪い。春を惜しんで魚の目にもなみだが浮かぶ、という発想は面白いが、全体としてはちぐはぐな気がする。「奥の細道」では、この歌が、見送りにくる人々との別離を悲しんで詠んだものであることが記されている。千住、という地名がみえ、現在の荒川区と足立区を両岸におく千住大橋付近らしい。歌川広重も「名所江戸百景」のなかで描いているが、なかなか立派な橋だったようだ。

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 与謝蕪村「春の海 ひねもすのたり のたりかな」はこの中ではもっとも気に入っている。「ひねもす」は「終日、一日中」と高校くらいで暗記するものだが、なんといっても「のたり」という擬音語とも形容詞ともつかないことばと海の組み合わせが素晴らしい。「ひねもすのたりが七文字で七音節を構成しているのも独特であるし、数少ない最後の五音も「のたりかな」と二度目の「のたり」で消費してしまう潔さは、ずうずうしい限りである。この俳句を知って以来、春の海がのたりのたりと寄せては返す情景よりは、これを詠んでいる与謝蕪村自身が寝転がってのたりのたりとしている様子しか思い浮かべることができない理由はそうしたところにもあるのだろう。だいたい声に出せばすぐにわかることだが、「のたり」ということばの、「のたり」感といったらすごいものである。

 小林一茶「めでたさも ちう位なり おらが春」は確かに一茶らしい俳句なのだろうが、こういう類の俳句は「そのままじゃん」といつも思ってしまい、その意味では正岡子規の「若鮎の 二手になりて 上りけり」も、写生という理念はわかるけれども、鮮やかに情景が浮かんでくるけれども、「で?」という気持ちを抑えられなくなる。俳句というジャンル自体を問うポテンシャルを持っているのは「ひねもすのたりのたりかな」の与謝蕪村であり、五・七・五を自明視し、その中で写生やら何やら唱える正岡子規ではないのではないか。だいたい「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」だって何が良いのかちっとも分からない。しかし興味深いのは、この与謝蕪村を発掘し、再評価したのが正岡子規自身だということだ。彼は、『俳人蕪村』(講談社文芸文庫なる本をも執筆しているほどである。残念ながら何が書いてあるのかは全く知らないのだが、単に教科書に載っている俳句だけを肴に、さしたる根拠もなくああだこうだ言っているこの文章の書き手にとっては印象深い関係性である。

 

 こうして和歌と俳句を見開きで眺めてみると、すべての作品が春を題材にしていることがわかる。なるほど、中学一年生が国語の勉強をはじめて、教科書をはじめからめくるのは春だから、なるべく教科書を読んでいる時期に合わせた選び方がされているわけだ。詩も草野心平「春のうた」だしね。こういうことは中学生の頃には意識すらしていなかったが、よく全体を見通してみると、ここだけではなく前半部分は確かに春を扱った作品が多いのである。たとえば漢詩「春暁」枕草子「春はあけぼの…」などである。そして全体を見通すという意味でいえば、この教科書の最後の執筆協力者一覧をみると、俵万智の名前がある。この歌人が、この教科書に収録された和歌と俳句について何を考え、何を言ったのかは少し気になる。ここはまだ古典的な和歌俳句だから、そこまで神経質に選ぶ必要はなかったのだろうけど。そして最後に一つ付け加えておくが、俵万智は本名である。

シネマディクトSの冒険 ~シュウの映画時評・第三回「ブリッジ・オブ・スパイ」~

スティーブン・スピルバーグ「ブリッジ・オブ・スパイ」(シネマスコープ、141分)
 
 
 傑作である。冷戦期、1972年のミュンヘン・オリンピック事件を素材にした傑作「ミュンヘン」を撮ったスティーブン・スピルバーグは、本作で1950年代後半から1960年代のソ連と東ドイツを登場させ、戦後秩序を描き直そうとしているのではないかと憶測するのもあながち夢想ではないような気にさせてくれる。そういえば「ミュンヘン」でもイスラエルのスパイ機関「モサド」が登場したのであった。「宇宙戦争」を観た者なら記憶するべきである、トム・クルーズが車と拳銃を放り出した後に入ったダイナーの窓と同様に、本作でも窓や採光のための空間が印象的である。とはいえ、そこからは光だけでなく、銃弾も注ぎこまれることになるのだが――そしてその銃弾がどのように撃ち込まれるか、どのような音がするだけでもスクリーンで確認するに値する。
   
 
 ところで、この映画ほど卓越したオープニングはそうそう無いだろう。柔らかな日差しがそそぐ部屋の中でカンバスに絵を描いているメガネの中年男性は、電話が鳴ると少し間を置き、受話器をとる。絵をみると相当の腕前のようだ。受話器をとった男は、しかし何も声は発さず、そのまま出かけていく。「ブリッジ・オブ・スパイ」なるタイトルの映画を観ているはずの観客は、彼がスパイなのかどうかをまず考えるところだ。しかしこれまでのところ、何も不審な点はない。にもかかわらず、どこか警戒を怠らないような素振り。なにやら彼はただならぬ雰囲気を漂わせているようにもみえる。一体彼は何者なのだろうか、と観客は考える。ここにおいて既にスピルバーグの演出は成功しており、画面に緊張感が生まれている。間違えてはならないのは、この緊張感は、彼がどうやら国家当局に尾行されているようだとその後のシークエンスにおいて観客が気付くことによって生まれているのではないということである。ここでの緊張感は、何者が何者をなにゆえに追っているかが不明瞭な点にあるからである。トム・ハンクスが路上で何者かに追われるシーンと比較すればこの差異は明らかだ。したがって、彼が突然人ごみの中に消えてしまったことで、まるでスパイのように尾行をまいたと思ったら次の瞬間には、不意にまるで一般人のように階段を上って現れることで我々は拍子抜けさせられ、確信をもって彼に貼り付けた「スパイ」というラベルをはがし、再び彼の正体を見極めるために目を緊張させなければならないのである。つまりここでの緊張とはどっちつかずであること、言い換えれば一本の糸が両方から引っ張られていることを意味している。
 
 巧妙に両方から引っ張られたこの糸は、すぐに断ち切られる。次のショットで、彼は川沿いのベンチでデッサンをしている。彼はそのベンチの下から、カンバス台のねじを調節するふりをしながら、どうみても怪しいコインを探り当てる。ここに至ってようやく彼はやはりソ連のスパイであると我々は確信することになるのだが、優れた映画の前で我々は常に後手に回らざるをえない。映画の中心はすでに彼がスパイであるかどうかではなく、彼のスパイとしての力量に移っているのである。結果的には、彼はそのコインの中から暗号文のような小さい紙を取り出すことになるのだが、その過程を注目しなければならない。両手を中心として、淀みの無い流れで器用にマッチやらカミソリやらを取り出していく一連のショットは、ただその手の運動の美しさが、彼のスパイとしての習熟度を何よりも雄弁に示しているのである。しかしまたもや我々は、その直後に乗り込んでくるFBIに対して彼がほとんど下着姿で煙草をくわえながらバスルームから出てくるとき、彼のスパイとしての力量を疑わざるをえなくなってしまう。ここに再び糸が張られ、緊張が生まれる。しかしここでの糸は、彼が一般人なのかスパイなのかではなく、有能なスパイなのか、無能なスパイなのかということである。後半に出てくるアメリカ人スパイの凡庸さと比較すれば、この緊張は一層引き立つことになる。これ以上展開を説明するのは野暮というものだが、いずれにせよ、直後の彼の振舞いによってこの糸もすぐに断ち切られる。勿論それは、糸が弛緩しないためにである。
 
 以上でオープニングは終わり、トム・ハンクス演じる弁護士へと展開は移っていくことになる。しかし、これでオープニングを言い尽くしたことには全くならない。それはヤヌス・カミンスキーという固有名詞が抜けているからである。世界を驚かせた「シンドラーのリスト」の撮影以降、スピルバーグ作品に欠かせないこの撮影監督は、本作で驚くほど巧みな撮影を行っており、巧みすぎるゆえにいささか撮影が目立ちすぎたとさえ言いうる「戦火の馬」を思い出させる。オープニングで明らかになるのは何よりもまず、このカミンスキーの手腕なのである。少しザラついた、いかにもフィルムらしい質感と、まさに50~60年代のアメリカといった色彩は、現在、カミンスキー以外に誰が実現できるのか、我々は知らないだろう。全編に渡って窓際から注ぐ常識はずれの光の量にもカミンスキーの存在感は顕著である。さらに付け加えれば、このソ連スパイを演じたマーク・ライランスという俳優の名もカミンスキーと共に覚えておかなければフェアではないだろう。なぜなら、これまでの我々によるオープニングの説明がほんの少しでももっともらしいものに聞こえるとすれば、それはスピルバーグ、カミンスキーだけでなく、このマーク・ライランスの演技も決定的な役割を演じているからである。
 
 
 困ったことにオープニングだけで全体の分量のほとんどを費やしてしまった。まだまだ語るべきことはあるのだが、総括的にいえば、通俗的な映画作家だと思われやすい、しかもそれはあながち間違っているわけでもないために、なおさら誤解を受けやすいスピルバーグと、傑作「ファーゴ」を生み出した、しかし通俗的とは到底いえないコーエン兄弟による、分かりやすい感情の動きを徹底的に廃した脚本とが融合した本作は、その両者の良さが明快に出ているように思う。スパイ達――本来はブリッジ・オブ・スパイではなく、ブリッジ・オブ・スパイズであることに注意しなければならない――が行き交う橋における、「立ち続ける男」という感動、あるいはトム・ハンクスが帰宅してからの、子どもたちと母親が観るテレビ番組のアナウンスにおける感動の何と謙虚なことだろうか。そもそも実際には安易な感動なるものを一番嫌うのはスピルバーグ自身なのであるが、それにもかかわらず、少なくともコーエン兄弟の映画とは違ってスピルバーグの映画は確実な感動を生み出す。そしてそれはオープニングまで遡って考察されるべき感動なのである。
 必見。
 

 

 

ダイスケつれづれ 第3回「クリスマスはやるのにラマダーンはやらないの?」

さて、まずはニュースを1つ。

ドルチェ&ガッバーナイスラム女性向け「ヒジャブ」コレクション発売
www.fashionsnap.com


これ、カッコいいと思うんですがどうですかね?ジョジョのキャラクターでこんな格好をしたのがいてもおかしくないような。
記事にもある通りムスリム向けの市場というのはかなり大きなもののはずです。だって、イスラム教は三大宗教の1つですよ。それだけの人々が、ムスリムであり、彼らは彼らの文化的背景を持っています。それに合わせた商品やサービスを提供するというのは当たり前ですよね。
さて、これなら非ムスリムでもヒジャブを着用したくなるのでは、なんて思います。非クリスチャンでありながら、首から十字架をぶら下げられる人々ならなんの躊躇いもなくできるはずでしょう。できるかな?うーん。

こうして断言することをためらわせるのは、ファッションアイコンとなりうるムスリム女性というのが思い浮かばないからかもしれません。
そう言うと、アイコンになりうるムスリム男性も思い浮かびません。もちろん、ムスリムの多い国それぞれになら、そうした人もいるかもしれませんが、この世界の果ての島国にまで影響力を持つような世界的なファッションアイコンはいないように思います。

ぼくらが往々にして影響を受けるのはアメリカやヨーロッパ出身の、肌の色が比較的白い、信仰心の強弱に関わらずクリスチャンの人々のように思います。

ぼくらが影響を受けるのはメディアを通してになるはずです。そして、それは大抵映画が多いのではないでしょうか。そして、その映画に登場するヒーローやヒロインはだいたいが上記のような白人クリスチャンのように思います。
これはぼくが改めて言うまでもなく、以前から批判にさらされていた問題だとは思います。とは思いますが、問題視されていながら、それが解決しそうな気配すらないのが現状なのではないでしょうか。
一番厄介で恐ろしいのは、ぼくらがさらされている情報が、多くのものを排除したものであるということが明示されておらず、その影響を受けた人が無意識のうちにそうした排除の価値観が埋め込まれた状態になってしまうことです。
この世界には仏教徒もいればムスリムもいるしクリスチャンもいます。太った人もいれば痩せた人もいるし、ある種の価値観から見れば美しい人も醜い人もいるでしょう。様々な肌の色の人がいますし、様々なセクシャリティの人がいます。確かに、一本の映画がそれらすべてを描き尽くすなどということは不可能です。まあ、映画なんてそんなもんですから。そんなもんなのにも関わらず、強い影響力も持っている。メディアのとても厄介なところのように思います。

もちろん、様々な人々を映画に登場させようという動きはあって、例えばディズニー映画のプリンセス。ジャスミンや、ムーランはアジア系だし、ポカホンタスはネイティブアメリカン、メリッサはアフリカ系です。もしかしたら、将来的には同性愛者の主人公だって表れるかもしれない。これは難しいかな。もちろん、これはマーケティング上の問題、白人のプリンセスばかりじゃ、非白人の子供たちに対する訴求力が弱い、ということがあったのかもしれません。もしかしたら、純粋に商業主義的な動機からのことなのかもしれません。それに、最初に取り上げたヒジャブにしても、これはそうした市場があるからのことで、人種差別や、宗教差別に対する取り組みではないでしょう。しかしながら、もしも動機が商業主義だったとしても、それで世の中がそうした「違い」を受け入れることの助けになるのなら、それはそれでいいのかもしれません。もちろん、商業主義が人を傷付けることだってたくさんあるんですけどね。

Quodlibet #1 「聖餐」をめぐって(1)―『さよなら子供たち』の聖餐

このコーナー(Quodlibet:好き勝手におしゃべりする)は、映画の話を無理やり枕にして、映画以外のテーマについて好き勝手に思ったことを書くコーナーです。たまに映画のことも書きます。

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 ルイ・マルの『さよなら子供たち』(1987年)は、ナチ占領中のフランスで、ユダヤ人の少年を匿うカトリックの寄宿学校を舞台にした映画だ。主人公のユダヤ人少年ボネは、身分を隠しながらも友人を得て次第に周囲に溶け込んでゆくけど、友人たちにいろんなきっかけでその出自がばれてしまう。(友人たちは彼の素性がばれても、教師である神父たちとともに彼をかばおうとするのだけれど)。そのきっかけの一つが、ミサでの「聖餐」のシーンだ。生徒たちが神父に一人一人呼ばれて、パンをもらう。ボネは名前を呼ばれないし、もちろんこのパンを拝領しない。ユダヤ教徒だからだ。ところが、ボネ少年はクリスマスのミサで、名前を呼ばれていないのに、ジャン神父の前に行きパンをもらおうとする。おそらく少年は、聖餐の前に神父が話した説教の内容に強い共感を覚えたのだろう。説教の内容は、ユダヤ人が迫害されているのを看過するフランス社会への、暗示的ではあるものの痛烈な批判をこめたものであった。ボネ少年は、ユダヤ教徒であることを一旦やめて、自らを匿う人たちの輪に加わろうとする。その時のジャン神父の表情はとても見物である。困惑しきった顔をした神父は、結局パンを与えない。
 あるとき、この映画を観たという人とこのシーンについて話し合ったことがある。彼は、このシーンに「匿ってはいるけれど、キリスト教共同体に結局ユダヤ人を入れてあげなかった神父たちの欺瞞」を感じたと言っていた。正直なところ、僕は彼とかなり異なる感想を抱いていたものだからびっくりした。
 カトリックのミサでの聖餐とは、キリストが十字架にかかり人類の罪からの救済のために自らの肉と血を犠牲にしたことを記念するもので、洗礼などと並んで最も重要な儀式だ。そこでは、文字通りパンの本質は「キリストの肉」となり、ぶどう酒の本質は「キリストの血」になるという「実体変化説」が16世紀以来のカトリックの公式教義になっている。そして、体になったパンを食べることは、教会を「キリストを頭とした体」となぞらえる聖書のレトリックに結び付けられる。信徒は「パン=肉」を食べることで、教会という共同「体」のいわば手足になる、というわけだ。考えてみれば「食人」みたいな話で、「食人」のレッテル張りは古代の教会への迫害の時も、そして「実体変化」を否定するプロテスタントによるカトリック批判の際も援用されることになる。
 さて、こうした「聖餐」の意義を考えたときに、戸惑いを覚え少年にパンを与えなかった神父の判断は、「欺瞞」とは言えないんじゃないかなと思う。まだ判断力のついていない少年に、一時の感興だけで「キリストの体」を食べさせ、勝手に「私たちの体の一部」にしてしまうことって倫理的なんだろうか。あの友人は「少年をキリスト教共同体の仲間に入れない」ことに非を感じていたけれど、「少年が本当にその教義に納得してるのかもわからないのにキリスト教共同体に入れてしまうこと」、それは、少年のユダヤ人としてのアイデンティティを抹消してしまうことになるんじゃないだろうか。神父の何とも言えぬ表情に、僕はそうした「ためらい」を感じていた。
 包摂か多様性か。マイノリティーを「みんな」の方に包んで「平等」を図ることと、「ひとりひとり」としてのマイノリティーを「みんな」に包み込まないことで「個性の実現」や「アイデンティティの尊重」を図ること。この二つのベクトルが鋭く対立する場面に僕らはずいぶん前から出くわしている。ジャン神父のためらいは、ボネ少年の「ユダヤ性」までを抹消することを望まなかったということなのではないだろうか。神父の少年に対する態度が誠実であったことは、ゲシュタポに甘んじて連行されるその姿を見れば火を見るより明らかだろう。
 そういえば、ユダヤ人でありながら、ユダヤ的なものに鋭い批判のまなざしを向けたあのシモーヌ・ヴェイユ(1909-43)は、『重力と恩寵』のなかでこんなことを言っていた。

聖体拝領(聖餐)は、善い人たちには幸いとなるが、悪い人たちには災いとなる。そ の結果として地獄に落ちるはずのものも天国にいるのだが、そのものにとっては 天国は地獄だ。

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 ボネがあの時パンを食べ、キリスト教共同「体」の一部になっていたとしたら、確かにボネはキリスト教徒の「天国」に行けたかもしれない。けれど、その天国が、生まれてこの方ユダヤ人として生きてきたボネ少年にとって、「地獄」だったといわないまでも「天国」であったのかどうか、誰も分からない。神父のあの表情は、そんな逡巡を語っているようだ。

おっと、『さよなら子供たち』の話は枕のつもりが長くなってしまった。聖餐についての本題は次回改めて書くことにしましょうか。